何者にもなれず終わるbboyがほとんどだがそれでいい

何者かになりたくて始めたはずのbboyingも、始めてみればいかにレッドオーシャンにまみれているかを痛感します。

 

bboyingが好きすぎて堪らない異常者達がひしめき合っています。

 

ニッチな業界に飛び込み自己実現を果たそうとする変わり者だらけなので、濃縮に濃縮を重ねた結果、異常な変態を遂げています。

 

中途離脱が多いジャンル故に、生き残りはドマゾ仕様でさらなる高みに位置するのはドドドマゾだらけ

 

チェアで腹に肘を差しただけでも痛みが走るという、初歩の基本が既にドマゾ判定機として機能しているあたり、ホンマにドマゾです。

 

さて、現実社会において、bboyingはまだまだニッチな業界です。

 

日本中どこでもbboyが集まる場所というのは固定化され、日常で目にする機会はありますが、社会生活上自己が属するコミュニティ内においては都会であればたまに遭遇しますが田舎になるとほとんど遭遇しません。

 

そもそもストリートダンスをやっている人が少なく、その中でもbboying自体がかなりレアという感じです。

ストリートダンスが習い事として確立されている現代の子供達が大人になった時にはまた少し違うのかもしれません。

 

一般論で言えば、現状bboyingは周りで誰もやってない率が高いジャンルになります。

 

誰もやっていないことには価値があり、誰もやってない率が高い方が価値付けしやすいのは自明の理です。

 

そして、そもそも多くの人がやっていることに興味が湧かなく、bboy musicに脳汁溢れ、bboyingの動きに脳天打ち砕かれた層が入門してくるので、自己実現のツールとしては都合が良く、そうであればちょっとした苦行でも意に介しません。

 

しかし、入門した瞬間にあまりに深堀りされ底が見えない業界であることにすぐに気が付くと思います。

 

bboy界でスターになることは容易ではありません。

 

bboy界のインフルエンサーになるためには常軌を逸した苦行を克服した者か、飛び抜けたセンスが必要になります。

 

両方を備えている者は長いbboyの歴史でもほとんどいません。

 

上位層でもどちらかしか選べないことがほとんどで、中間・下位層になるとどちらも選べない層がほとんどです。

 

誰かの真似をして、その誰かのクオリティに達せず終わる、という例がほとんどです。

 

一般社会における優位性と専門分野における優位性には強烈な隔たりがあります。

 

bboyingに限らず、専門分野で活躍するということは眩暈がするほどに途方も無い努力を求められるものであり、ティッシュを一枚ずつ重ねてエベレストまで到達させるような忍耐力が求められます。

 

ティッシュを重ねてエベレストの高さに至らせることに意味があるのか、そしてそこに到達した時に自分が望む結果が得られるのか、それはわかりません。

タイミングや時流も関係するでしょう。

 

BC ONEやオリンピック種目がある現代は比較的わかりやすいゴールが設けられていますが、メディアが取り上げるような栄誉を与えてくれるイベントも無かった先人達は大局的には五里霧中だが、「今」自分がそれを求めているからやってきただけのこと、ということに尽きます。

 

中間・下位層はティッシュの積み重ねを途中で諦めてしまった者達ですが、それでも途中経過で何者かになれた瞬間はあり、コミュニティを限定的にしていけば何者かでい続けることができます。

 

リスペクトを得ることが目的になってしまうことは競技性の高いbboyingにおいて政治性を含むこととなり本末転倒となってしまいますが、自己実現という意味合いにおいては意味があることで、またモチベーション維持の動機付けになるならばそれもまた是認するべき事項であるなぁと思ったりしています。