2000年代を契機にbboyingは鑑賞に堪えうる身体芸術に昇華された

明確に何年何月ということは言えないが、2000年代を通してbboyingは鑑賞に堪えうるものになったと言える。

 

それまでは、部分的に鑑賞に堪えうるものであったと言える。

 

全てが過渡期であり確立されていない不安定な時代

 

誰も答えがわからず足掻いていたとも言えるし、まるでスープをお玉でかき混ぜている最中であったように思う。

 

そんな中でもbboyの代名詞でもあった伝統的なグラウンドムーブに関しては90年代が頂点であり、鑑賞に堪えうる数少ないムーブの1つであった。

そんなグラウンドムーブも2000年代から徐々にすぼんでいってしまう。

より高度な技術の開発、普及、伝播によりもうそれ以上追求する理由がなくなってしまったからだ。

それは現代においてレコードで聞ける音楽をさらに高音質にする試みをする必要性、需要が無いことと同じである。

過去の遺物を水平拡張する必要性がない、というのは必然である。

マンモスを倒すために磨き上げられた石器をを使うよりも銃を使えばいい。

そもそもマンモスはいないし、仮にいたとしても現代においては倒す必要性すらない。

時間が有限である限り、パラダイムシフトが起こった時点で注力の対象は劇的に変化する。

とは言え、いささかの寂しさがないわけでもなく、温故知新として新たな可能性がそこにないわけではないと信じている。

 

さて、話を戻すと、視覚的完成度の向上に寄与したのは、エアートラックスやエアチェアなどのエアー系テクニックの安定化、トップロックの進化、フットワーク・フロアームーブの変化、ミュージカリティ・ファンデーションの高度化に他ならない。

 

言ってしまえば総合的に全てが高度化したのである。

 

不可能が次々と可能になり、猫も杓子もできるようになるとカンブリア爆発よろしく、とてつもない進化をbboyingにもたらすこととなった。

 

2000年代はまだまだ分業化の時代ではあったが、ほぼほぼ現代のbboyingを構成する要素が出そろった時期でもある。

そして、オールマイティー化というあるべき進化の極致

 

いかに全てを高度にこなせるか、という次元に行き着いたのが現代bboyingである。

 

1つ1つがショッキングなスキルのオンパレードであるbboyingを、同時並行的にこなすことが可能になったからこそ身体芸術として申し分ない地位に達したものである。

 

おそらく、人類史上におけるあらゆる身体芸術の中で最も過酷なものであると言い切ることができる。

 

これ以上の身体芸術を求めると人体破壊・生命毀損の方向しかなく、倫理的・社会的に許容されないグロテスクなものとなる。

 

人体改造という分野が発達した場合、bboyingがさらに別の次元に達すると思われる。