bboyのバイトに関する考察

bboyのバイトに関しては、「合理性」と「所有権」から読み解くことができるのでは、と考えています。

 

ここでいう所有権とは、法に定めのあるような厳格なものではなく、人間誰しもが持っている自分の物を奪われたくないという本能的な所有物への権利意識のことです。

 

本来、人間の動作に所有権や著作権などはありません。

 

そうした権利が発生すると、歩き方や食べ方も一人一人オリジナルなものを考えないといけなくなり、社会規範を乱すような方法で表現しようとする者の発生や、後に生まれれば生まれるほど不利になる等、公益性や社会秩序維持の観点から当然許容されるはずもありません。

 

最初に芋を洗いだした猿の行為が群れに伝播するかのように、合理性のある行為は社会進展という好ましい価値を有してことから強く推奨されています。

 

それがダンスという枠組みを与えられると少々話が複雑になり、著作権法により著作権の考え方が発生してきます。

 

ざっくり言うと独創的なものには著作権がある、既存のものには著作権はない、という感じです。

もう少し複雑かもしれませんが、本当にざっくりです。

 

となると独創的なものであってもある一定の年月を経過すると「既存のもの」になるのでは?やら、著作権法の定めにより一定期間は著作権が守られるのか、bboyにありがちな単発の技に関してはどうなるのか、ダンスに疎い裁判官の場合どこまでがオリジナルでどこまでが既存と判断できるのか、オリジナルと既存の線引き、期間の設定等々疑問が湧いてきます。

 

日本舞踊や映画におけるダンスについての判例はありますが、bboyingに関する判例というのは聞いたことがありません。

 

それを踏まえて、法的な話は脇に置き、一般的な心情・モラルの観点から話を進めていきます。

 

bboy界においてバイトはご法度である、とまでは言いませんがプライドの問題から良いか悪いかで言うと良くないよね、という認識が根底にあります。

そして、そもそもパクりは恥ずかしいという心情もあり、カブりたくねぇ~という気概もかなり強いでしょう。

 

だからこそ日進月歩で発展している側面もあるわけで。

 

しかし、バイトポリスよろしくバイトを見つけるたびに鬼の首を取ったかのように吊し上げ排除しようとする流れもよくありません。

 

そもそも初めは誰もが初心者であり、真似から始まっているわけですから、あまりにバイトに過敏になりすぎると誰もbboyingを始めることができなくなります。

 

そこで発生したのがファンデーションという概念ではないでしょうか。

 

時間が経過した技に関してはもう基本ということにしてバイト云々には目を瞑ろうや!ってやつですね。

 

当然今ある基本技も誕生当時は誰かのオリジナルなわけで、バイト原理主義を忠実に守るならばウインドミルや六歩もやってはいけないことになります。

 

まぁこれは合理性の観点から当然のことですね。

 

基本からの派生・発展に関してはバイトの概念があるということにしないと衰退するしかありませんから。

 

で、この派生・発展自体もどんどんと枝葉を広げていくことでいつしか基本に取り込まれていきます。

 

これも衰退防止の観点から当然ですね。

 

いつまでもお古にしがみついてないでシェアしろよ!ってとこですか。

 

しかし、最初に考え出した当人は面白くありません。

 

苦労して生みだした技をパクられるということは所有権的概念からは奪われるという意識と同義であると言えます。

 

ましてや現役であるならばバトルの勝敗においてオリジナルムーブは生命線でもあり、看過できないという心情はbboyなら誰しも共感できることでしょう。

 

頑なに自分のオリジナルムーブのバイトを許さないという人もいれば、全然パクッていいよ~という人もいたり様々です。

ただ、自分のオリジナルムーブが基本として世界に波及するということはbboyにとって勲章の1つであるとも言えます。

基本に取り込まれるムーブなど稀有なものであり奇跡的であるとも言えます。

惜しむらくは、見たままの様子を技名にする文化から、時の経過とともに情報散逸から誰がオリジネーターなのか不明になってしまうことでしょうか。

体操のように、自分の名前にでもしてしまえばbboyingが続く限り永遠にレジェンドとして後世にわかりやすく残り続けるのになぁ~という思いです。

 

と、まぁ当たり前の話をそれっぽく述べてきましたが、要はbboyingの発展のためにはどんどん技術をシェアしてくのが一番良いんだけど、バトル文化や個人の所有意識も相まり相反した関係性となっており、これは大局的視点を持つか個体レベルでの視点で留まるか、という根源的な人間のサガの話に行き着き結局これといった結論は出づらいよね、ということでした。