究極的にBBOYに自分のスタイルなど無い

これからもBBOYINGが存在する限り、永遠に基本として存立していくムーブがある一方で、一時の流行的なファクターが異様に強いこともBBOYINGの特徴である。

 

これは非常に申し上げにくいことであるが、BBOYのスタイルはよほど奇才放つものでない限り時が経てば経つほどダサく直視に耐えがたいものとなっていく。

 

これが俺のスタイルだ!と言ったところで、有象無象のBBOYは所詮その時代のコピー、あるいはオリジナルを求めつつもその時代のルールは厳守し、中心の周りをウロウロしているだけで、本当の意味でアウトローな改革者などいつの時代もほとんどいないものであり、「それってそんな声高に叫ぶこと?」という感じである。

 

いわゆる流行物は時の経過とともにダサくなっていくのは必定であり、仮に同じテクニックを使用するにしても、その時代の情勢に合わせたチューニングを行わなければいけない。

 

これが俺のスタイルだ!は凄まじい完成度の下、歴史に残り続けるものだけが放てるものであり、そうでなければ1992年製のPCは俺がいいと思ってるからお前も使えと2020年に強要することに等しい。

 

老人の回顧主義に付き合わされることほど、つまらないものはない。

 

温故知新的な発見もあるかもしれない。

 

しかし、ほとんどは死んでいると見て差し支えない。

 

根本的に原理が違う。

 

確かに礎は作ったかもしれない。

 

しかし、ポケベルからPHSへ、ガラケーからスマホへ変遷したように、BBOYINGのテクニックやスキルもより見栄えのするものへと進化している。

 

老人が出る幕は既にないのである。