youtube「UNITED JAPANESE BBOYS」

表題のとおり

 

90年代からbboyをやっている者からすると共感することしきり

それと同時に話したことがない者同士でも同じ感覚を共有していた、ということの確認にもなる貴重な資料映像

 

脳・人体の構造を考えると考えられないレベルで急激にシーンが発展した奇跡的な時代が存在する

 

本来ならば数年、あるいは数十年かけなければそのレベルに達しないはずであるにも関わらず、それが1年もしくは数カ月単位で覆されてしまったオーパーツ的な時代でもある

 

凄まじいスキルを見た場合、習得に数年、あるいは一生できないかもしれない、といった諦観ありきの一縷の望みにかけるといった具合であったものが、とてつもないスピードで歴史が塗り替えられていき、モンスターbboyが次々と過去のものにされていく様を数えきれないほど見てきた

 

今でこそ普遍的技術のエアートラックスも過去には現代におけるダブルエアー並みの価値があった時代がある。しかし、エアートラックスが稀有な時代は、後から考えればbboy史においては瞬きほどの一瞬に過ぎなかったのである

 

それほどまでに、bboy史は激動そのものであった

 

youtubeでも述べられているとおり、価値観においても同様であった

 

最高の価値があったものが翌日にはその輝きを失い暴落するのである

 

長年心血を注いできたものが雲散霧消するのである

 

まるで夢幻のごとく

 

驕る平家は久しからず、老兵は死なずただ去るのみ、を高回転でサイクルさせる鬼畜仕様は2000年代初頭に確立されている

 

習得に膨大な時間を要するにも関わらず、めまぐるしく変遷するシーンはその価値を維持させない、という強者生存、弱者必滅の原理がこれ以上ないほどに効いている

 

進化を止めた生物、環境に適応できなかった生物はすべからく滅ぶ

 

地方に居座るオーバーエイジ層は化石、あるいは死してなお現世に未練を残す亡霊、アンデッドといったところか

これはbboy正史とは全く異なる論理でシーンとして存在しており、これはこれで人は老いることを考えればbboyが誕生した時点で想定内の出来事であり、それはそれで楽しんで、という寛容な気持ちでいる

 

しかし、bboyの本質とは著しく乖離しており唾棄すべきものでもある

 

no limit 限界を超えていくことだけがbboyの本質であるからだ

 

それでは何をもって限界を超えていくとするのか

 

肉体的な限界突破は誰にでもできるし、その権利を阻害されることはなく、その行使は本人次第であるが、いずれ老いとともに下降線を辿ることになる

 

しかし、bboy史においては肉体的な観念以外にも精神的な観念が存在する

 

圧倒的な肉体的劣後においても、bboyはマインドで対抗しうる、という場面は枚挙に暇がない

 

明らかにスピードも、技術も、手数も負けているにも関わらず、マインド部分で圧倒

 

これがbboyがカルチャーでありスポーツたりえない理由の最大のものである

 

マインドにおいてもbboyはbboyたりえるのである

 

以上を踏まえた上で、bboyにおけるオーバーエイジの定義は肉体的にも精神的にも進化を止めた者、言い換えれば自分で勝手に天井を決めてしまった者となる

 

こうした者も数多く見てきた

 

驚異的なスピードで新陳代謝を行うbboy界において、新陳代謝を自ら機能停止してしまった者

 

俺は一生bboyと言っている者ほど、つまらないプライドにこだわり変化を恐れ、シーラカンスのようにいつまでもそのままでいる

 

アンデッドbboy、シーラカンスbboyになるべからず