SASUKEが好きで毎年欠かさず視聴している。
肉体の限界に挑む様がBBOYのそれと重なり、手に汗握る。
未知の領域を努力で突破する。
友情、努力、勝利
陳腐で臭くて時代遅れなスローガンはそれでもなお黄金の輝きを放っており、それを体現することは少年達の永遠の憧れでもある。
不可能を可能にする
impossible is nothing
さて、毎年SASUKEを視聴するにあたり、歴年のレジェンド達の直視に耐えがたい局面もBBOYと重なってしまう。
後進には口うるさいが、いざ実戦となると、、、ってやつだ。
老兵はただ去るのみ、ということはテレビの性質上できないのかもしれないし、本当は本人達ももう出たくないのかもしれない、等々本心は本人以外わからないが、醜態を晒すくらいならば表舞台に出ない、という選択もある。
それが、BBOYとなればただただ本人の選択次第であるが故に失笑を禁じ得ない場面が多々ある。
ベテラン、レジェンドはその存在に意味がある。
それが故に自己のムーブを正当に評価されないきらいがある。
誰もが何も期待していないのである。
レジェンドが動いた、往年の技を繰り出した、この年齢でブレイクダンスをやっている、ということに沸くのである。
これは例えて言えば、老人ホームで幼稚園児がやるようなお遊びをさせられて褒められることと同じである。
BBOYとして屈辱以外の何物でもない。
既成概念を破ることを生業としてきたからこそ、今までの自分のイメージを裏切り、新たな価値を見せつけることができるならば、レジェンドのムーブにも意味がある。
それができないならば屈辱を浴びるだけであり、踊らない方が1000倍マシだ。