型にハマらないことが魅力なのに型にハメたがる奴らがいるのはなぜだ?

現在のbboyingは日進月歩で、次から次と新しいアイディアが産み落とされている。

 

時にはコロンブスの卵のように

時には永永無窮のごとき鍛錬の末に

 

信じられ無いようなアイディアで溢れかえっており、そこには先人のオマージュや、先人からのインスピレーションが多分に含まれているもの、まったくのフロンティアであるもの、様々ではあるがどれも斬新でフレッシュだ。

 

ファウンデーション・ベーシックから派生しているものもあれば、未知の領域からのものもある。

 

bboyingは、それを発展させるために、衰退させないために、ありとあらゆるアイディアが寄せ集められた集合体であり、今現在も進行形のカルチャーだ。

 

にも関わらず「これはこうだ」と型にハメたがるbboyもいる。

 

型にハマらないことが許されているカルチャーにも関わらず、だ。

 

浅いと言えども歴史を積み重ねてきた中で「型」を重視する向きも理解できる。

 

そして「勝ちやすい」方向性もほぼ定まっている中で、そうした「型」にハメていくことに合理性があることは一目瞭然であり、そこに言葉を差しはさむ余地は無い。

 

無いのだが、それでもあえて言うならば、「勝つこと」や「みんなと同じかっこいい型にハマる」ことだけに価値基準が無いのも明らかだ。

 

もっと言うならば「フレッシュ」であり続けることや、クリエイティブであることにこそ価値がある。

そして、フレッシュかつクリエイティブであり続けることは、変化を嫌わない、ということでもある。

変化を嫌い始めた瞬間に衰退が始まる。

 

昨日の自分、1か月前の自分、1年前の自分、10年前の自分

 

自分はフレッシュでいるのか?

 

単純な進化のみならず、断捨離におけるフレッシュも存在すると考えている。

たとえば、エアチェアが得意でそれしかしないような奴が突然一切エアチェアをしなくなったならば、それはそいつの中で何らかのマインドチェンジがあって変化したということだ。

 

型にハマる、ということはもうそれ以上が無いということである。

型はそれ自体が完成形であり変える必要が無く、また変えてはいけないからだ。

型以上にならず型以外にもいけず。

 

で、結局それっておもしろいの?と。