BBOYイベントのほとんどは素人仕事

BBOYイベントにおける集客力は非常に弱い

 

宣伝をするでもなく付加価値を加えるでもなく、来たい人が来ればいい、みんなが喜んでくれればいい、赤字にならなければいい、というイベンターがほとんどだ。

 

下手をするとイベントを主催している、という自己陶酔・自己満足で完結している場合もあり目も当てられない。

 

やるからには儲けた方が絶対にいいはずだ。

 

そこにはある種の諦観や怠惰、マンネリ、保守化が見てとれる。

 

どうしたらもっと客を呼べてもっと利益を上げられるか?ということを考えられない時点でBBOYが大きく日の目を浴びることはない。

 

収容できる限界の数まで人を入れた方が良いのは自明の理であり、そうする必要がある。

 

チンケなフライヤーや身内だけにしか流れてこないSNSの告知など今すぐ止めて、一般に広く認知される媒体で宣伝する必要がある。

 

なぜならば今までそれで客層が何も変わっていないからだ。

 

いつも通りのメンツが来るだけだ。

 

新聞ならば中高年層、ネット広告ならば若年層、テレビCM、また検索すればすぐにそれとわかるようなサイト運営も必須だ。

 

著名なアーティストや芸能人を呼ぶのもいいだろう。

 

とにかく人が来ることがまず肝要である。

 

そんな金ないよ、、、と言うならばスポンサー集めをしたらいい。

 

長期的に考えれば莫大な見返りを得る投資になりうる、にも関わらずの自転車操業がBBOYイベントの現状である。

 

ジリ貧になっている中で、知名度や経済性を高めていく活動が明らかに欠如している。

 

また、成長に伴い大規模な資本投下は必須である。

 

学生気分、素人仕事のままの硬直化では現状維持、衰退が関の山だろう。

UPROCKと競技性は反比例する

個人的な見解ではあるが今現在においてUPROCKは死にかけている要素の1つである。

 

原因として考えられることは競技性の先鋭化だろうか。

 

競技としてミスが許されなく体力配分のことも考えるとUPROCKを挟み込む隙間が減少していくのは致し方ないことと言える。

 

競技において無駄な体力の消費は禁忌事項であり、UPROCKはまさにそれに該当する。

 

クラッシュを誘引する原因になりかねない。

 

となればUPROCK合戦をすることはデメリットにしかなりえない。

 

あえて挑発し相手の体力を消耗させる戦略としては有効かもしれないが。

 

またUPROCKが勝敗を決する重要な評価点になりづらいこともこれを遠ざける要因の1つである。

 

UPROCKを勝敗の鍵にしているジャッジもいるかもしれないが、それもクオリティの高いムーブの前では重要な加点とはなりづらいのではないか。

 

BBOYの文化として重要な意味を持ちつつも形骸化していく可能性が高い要素になりつつあるのが現状であるが、これは無駄なものを削ぎ落し環境適応・進化している過程とも取れるため一概に否定もできない。

 

原理主義的な考え方からするとUPROCKが軽視されることは看過できない事項かもしれないが、一定の条件下のみで適用されることから使い勝手もなかなかに悪くどうしても後回しになりがちでもある。

 

バトル文化から発生しているにも関わらず現代のバトルにそぐわない性質を有しており、仮にバトルの定義にUPROCKが含まれているならば、現代のバトルは本来的なバトルではなく、交互にルーティンを見せ合うショー形式であるとも考えられ、今後UPROCKはどういった立ち位置になるのか興味深いところである。

 

 

出し渋り老害の弊害はbboyにも適用されるか?

インターネットの発達と人類の発達は比例関係にあります。

 

ブラックボックスとなっていたありとあらゆる構造・仕組みが、インターネットとそれを公開することで得られる「金」により広く明らかになりました。

 

これはBBOY界も例外ではなく、インターネットが無ければこれほどのレベル向上はありえなかったでしょう。

 

アナログ時代は口伝え・物理的な映像保存媒体のため伝播が極端に遅く、進化のスピードもまぁそれなりといった塩梅が、ネットにより遥か遠くの出来事も即座に把握できるようになったことで異常なスピードで進化することが可能となりました。

 

実際にいるかどうかは別にしても、誰もダンスをやっていないような離島の奥地であったとしてもネットさえあれば世界レベルの踊りをすることを可能としました。

 

ありとあらゆる教則がネットに溢れておりそれが驚異的な進化に貢献したことについて異論はないでしょう。

 

しかし、これはBBOYに限ったことではないかもしれませんが、「出し渋り」という老害特有の性質により人類の進化スピードというのは抑制されている側面があります。

 

BBOY出し渋り老害三大あるあるとして

 

曲を教えない

最新の映像を見せない

コツを教えない

 

以上が挙げられます。

 

これはインターネットが発達する前に見られた人類の特徴とでも言えましょうか。

 

とにかく簡単には教えない。

 

目で見て盗め、という良く言えば職人気質、悪く言えばただの非効率・非合理の足引っ張り老害

 

なぜならば自分の立場が危うくなるからです。

 

効率的に教えてしまえばあっという間に自分よりも上手になる可能性があるからです。

 

俺も苦労したからお前も同じ苦労を味わえ、という個の利益が優先し人類という種族の進歩を度外視した足引っ張り老害が跋扈していたためです。

 

あらゆる分野で異常なまでに発展速度が加速している現在においては、あらゆるシステムを効率的に構築しなければ時代に取り残されてしまいます。

 

そうした中でもまだBBOY界において遅れているのが知識の部分でしょうか。

 

新しく提唱されたHIPHOPの要素であるKNOWLEDGEではありますが、実態は老害既得権益保護です。

 

HIPHOPの歴史や知識が無い者は真にBBOYではなくHIPHOPERではないという概念です。

 

ではなぜこれが既得権益保護なのかと言いますと、単純にフィジカルの問題が挙げられます。

 

他のHIPHOPエレメンツと比較してもフィジカル一極集中のBBOY界において年齢を重ねることは、そのものずばり価値の毀損となります。

 

俺が勝てねーじゃん偉そうにできねーじゃんというところです。

 

偉そうにしてたいな~でも難しいことできないしな~というところで繰り出されるのが「知識」ということです。

 

これはありとあらゆるジャンルにおいて見られることなのでさして特別なことではありません。

 

自己の保存が最優先なのでしょうがないことです。

 

ですが、この知識というものもネットであれば即座に伝播させることが可能です。

 

それをしないのはなぜか、というのは前段で述べた通り自己の価値保存のためです。

 

BBOYINGを広めたい!と言っているにも関わらずクリティカルな部分はクローズドにしてしまうあたり恐ろしいほどの矛盾なのですが、そこは察してあげましょう。

 

BBOYINGの認知度を上げ、諸々の誤解を解くための最適解はネットの利用以外にありません。

 

あらゆる企業がネットを無視できないほどにその有用性というのは広く認知されています。

 

今時ネットを利用しない企業はありません。

 

利益向上にこれ以上ないほどのツールだからです。

 

それをしない、ということは単に自己価値保存・エゴの充足に過ぎないということの証左でもあり二枚舌と捉えられても仕方がないでしょう。

 

時代に合わせて進化する技術とは裏腹に、前時代的な老害のためのエレメンツがKNOWLEDGEであるというのが現状です。

 

1990の起源を知っている者より1990を10周回れる者の方が価値があります。

 

そういうことですね。

最もエキサイティングな年だったBOTYは?

これはもう人それぞれとしか言いようのない部分ではありますが、個人的には98年が最もエキサイティングな年だったのではないかと考えています。

 

会場、音楽、雰囲気全てが最もHIPHOPらしく、現状から見ればまだ発展途上のレベルであるにしてもバトルも遊びまくっている感じが出ており最もファンキーだったように思います。

 

時が経つにつれ難易度、正確性は段違いにレベルアップしていますがなんだかおとなしくてクラッシュしない前提でのさらなる高みを目指す芸術性の追及を否定するものではないですが、見ていて面白いかと言うとなかなか素直に首を縦に振ることができないというのが正直なところです。

hiphopエレメンツの中でラップだけが世界一になることが極端に難しい

ラップに関しては世界一を決めることが非常に困難であると言える

 

各国において母国語によるラップは広く浸透してはいるだろうが、世界統一基準がないのが現状ではなかろうか。

 

ラップバトルをしようにもそれぞれ言語が異なるため、母国語ではない者からするとただの音として認識されてしまう。

 

そうなると単純にどれほど曲が売れたか、という部分でしか優劣をつけることができない。

 

だが、それであれば使用人口の多い言語のラップが当然上位にきてしまうし現実そうである。

 

本筋を考えるならばラップが誕生した言語である英語を世界統一基準にすべきであるが、日本人ラッパーにとっては非常に困難と言える。

 

ネイティブ並みの発音、ボキャブラリーの構築

 

おそらく後天的にここまで引き上げるためには並大抵の努力では不可能だろう。

 

自分が知らないだけかもしれないが世界で活躍している日本人ラッパーを聞いたことがない。

 

どこまで行っても日本人は日本語でラップするしかなく、そうなると基本的には日本語ユーザーのみが消費者となりグローバルとはかけ離れた状況である。

 

そして、我々が中国語ラップや韓国語ラップを聞いた時に感じるエセ感を、当然日本語ラップを聞いた英語圏の人達も感じていることだろう。

 

ラップはhiphopの中で最も経済的に成功しやすいジャンルにも関わらず世界一を最も決めづらいというお話でした。

ストロングスタイルは安易に選択してはいけない

無重力を表現することにおいて最も象徴的なカテゴリーであるストロング

 

特に下肢障害のあるbboyがズバ抜けており、健常者においては到達点が見えてはいるがそこに辿りつくまでがほぼ無理ゲーというチート容認の温度差が最も激しいカテゴリーでもあります。

 

力こそすべて、ということを良くも悪くもこれ以上ないくらいに実感してしまいます。

 

リアルストロングスタイルになると冗談抜きで一切足を着かないわけですが、普通クラスだとまぁちょいちょい足着いてて一杯一杯感が伝わってきたりしてるとこにも悲哀が滲み出ているというか。

 

ありえない体勢を維持することにリソースを割かれ気味なので、どうしても立ちやフットワークはおろそかになりがちで踊りが上手い人もほとんどいないのが現状です。

 

ありえない体勢で止まる、というインパクト重視が味噌のためスタイルというよりは一発大砲スキル系に分類するのが正しいのかもしれません。

 

ストロング界においてマーシャルやエアタートルは伝統的に必須項目であり、できない時点でお察しとなる指標でもあります。

 

上水平を極めていることが前提であるため、当然そこからの発展性を問われるわけです。

 

テクいストロングスタイルも存在はしますがあくまでラストに持っていくための布石に過ぎません。

 

こうなると下肢障害のあるbboyが席巻するストロング界にあえて飛び込むのはリスクがかなり高いのかな、という印象です。

 

もはやbboy界においては別種の生物であるという認識でもいいのかな、という具合であり素手でグリズリーに挑みにいくような無謀感溢れたものとなってきているのではないかと。

 

ガチガチの体操上がりで姿勢保持に並々ならぬ自信があるならまだしも素人がなんとなしに踏み込むと大火傷を負いかねないカテゴリーの1つであるという認識です。

 

また、ストロングで世界を制した例もまだ無いためある程度の上限値、天井も定められている、というところもデメリットとしてあると思われます。

bboyは歳を取るとどうなっていくか

年齢を重ねるごとに円熟味が増す、というのは毎日練習を継続し新しいことに挑戦している者だけの話であり現実はそう甘くはない。

 

ただ続けているだけの者には容赦ない評価が下される。

 

練習の頻度は減りムーブのクオリティもクリアーさも失われ、できていたこともできなくなり、動きのキレは減る一方。

 

後輩の温かさに救われているだけであり円熟とは程遠い。

 

情熱が注がれるからこその熟成であり、漫然としていたのでは腐っていくだけの話である。

 

ただ継続しているだけでは味が出る、ということにはならない。

 

ジーンズもレザーも使い込んでいくからこそ味が出るのであり、使い込みをやめて怠けていては味もくそもない。

 

若いころのように体を張った無茶はできなくなってくる。

 

頭を使い、日々を研鑽に費やしたものだけがリスペクトされるべきであるが、、、。