bboyによる大量生産・大量消費・大量放棄と過去

現代はすべてにおいて大量生産・大量消費・大量放棄の時代です。

 

bboy界においてはこれがインターネット、ひいてはyoutubeの隆盛とともに発生しました。

 

もはや人が一生をかけても見きれない位にbboyingの映像や知識が溢れています。

 

ダビングのしすぎで、もはやスローで見ても何をしているかよくわからない映像を見ていたり、そもそも映像資料を得ることができずにテレビの断片的な動きだけが指針だった世代からすると夢のような時代です。

 

行きづらくてしょうがなかったアングラ感漂うダンススクールも、今はとてもオープンで数にしても検索するとアレコレと出てきます。

 

イベントの数もbboyの数も飛躍的に伸びました。

 

その分だけ1つ1つの印象が薄まるのは当然のことなわけで。

 

世界一があちこちにありイベントの権威は相対的に落ちざるをえません。

 

もてはやされていたものが廃れるペースや飽きられるペースが明らかに速度を増しています。

 

まだそんなことやってるの?と。

 

でもそんなこと言ったって身体能力はそんなに速く成長しないし、新しい技だって思いつかないし、無茶なこと言うなよ!ってところです。

 

このへんで諸々の諸事情込みで前時代のbboy達は淘汰されていきます。

 

アップデートしなければいけない期間、賞味期限のデッドラインが明らかに短く前時代のbboyでは間に合いません。

 

イベントが少なくて嘆いていた時代がまるで嘘のように石を投げればイベントに当たるような時代です。

 

こうなると、bboyの命題でもある「フレッシュ」が頭をもたげてきます。

 

イベントの度に観衆はフレッシュを求めてきますし、飽食状態と相まりその切迫感たるや。

 

地方の一部やしょーもないイベントであればスピードやキレを増すでもなく開き直って毎回同じことだけやったりどこかからサクっとパクッてきたネタをお披露目すれば後輩や生徒からパチパチされてご満悦、良かったね、で話は終わるのですが前線に向かおうとしているbboyはそうもいきません。

 

常にオリジナルでフレッシュなムーブを構築することに追われています。

 

まぁある意味これだけムーブが溢れている時代ですから既存のものを掛け合わせるだけで新しいムーブを構築しやすいメリットはありますが、根本的に新しい原理のムーブを作るというのは非常に難しいものです。

 

結論としてはまとまりませんが、現代の大量生産・大量消費・大量放棄に対抗する術はありません。

 

過去に戻ることなどできません。

 

しかし、あえて1つ言及することがあるとするならば、レコードやCDが無い時代のダンサーは一体どうやって日々の練習をこなしていたのか、という疑問について考えてみると面白いかもしれません。

 

想像力を差し込む余地が無くなった現代において、想像力を膨らませる経験自体がインスピレーションの泉である可能性があります。