facebookとtwitterは止めるべき

bboyに限った話ではないのですが、トップ層に食い込みたいと思っている人は、題名の通りfacebooktwitter等のsnsは利用を止める、あるいは利用方法を限定し、なるべく控える形にするのが良いかと思います。

 

snsのメリットである24時間、時間と場所を問わずコミュニケーションを交わし、拡大できる点は、ビジネス利用を除外すると、何もすることが無い、目標が無い、暇つぶしがしたい人のための、極端に言うとただ寂しさを紛らわすためだけのものにしか過ぎません。

基本的にはbuzz、、、一般人の愚痴、日常報告、妙な啓発、偏見、内に秘めておけばいい決意などなど、どうでもいい情報で溢れており、また旬を過ぎた今更な話題も多く情報鮮度も低いです。

ただ、玉石混交の状態であることは事実であり、有益な情報も稀にですが得ることができます。

「玉」が極端に少ない状態であり、その玉自体も大したものじゃなかったりしますが。

 

そして、sns利用の一番の問題点は、凶悪な時間泥棒だと言うことです。

タイムラインを流して流して読んで読んで、、、

facebooktwitter、インスタグラム、、、

若年層のsns平均利用数は定かではありませんが、体感的には上記のビッグ3はほぼ網羅されているように感じます。

それに加えて、youtubeなど他にもsnsめいたものを利用しているとなると、そのチェックだけで膨大な時間が失われます。

デジタルコミュニケーションは本質的には暇潰し以外の何物でも無いのですが、自分の属するコミュニティが利用するsnsがあればその求心力たるや半端ではありません。

本質的には無駄であると薄々理解しているにも関わらず、人が集まっているというだけで自分も参加してしまい時間を浪費する行動って心理学的に何か名前とかついてるんでしょうかね。

 

いずれにしても、snsにはほぼbuzzしか無く、そもそも昨日見たタイムラインの内容なんて誰も覚えていない中で、果たしてそこに時間を費やす必要があるのか?ということですね。

 

現在の若年層のほとんどは、sns中毒です。

違うよ!という人は、まず1週間facebooktwitterもインスタも開かないでください。

若年になればなるほどおそらく無理でしょうが。

友人の動向が気になって気になってしょうがないと思います。

万が一、1週間sns離れできたらsnsを開いてみてください。

膨大に蓄積されたタイムラインにうんざりすることでしょう。

これが1か月開かないでいるとさらに膨大すぎて過去のタイムラインはもう読まないでしょう。スクロールするだけで時間がかかりますし、どうでもいい情報ばかりだからです。

本来であれば、目を通していた1か月分の蓄積されたタイムラインを、放置したことで読まなくなります。

つまり、そもそも読まなくても何の問題もないということです。

それでも、すべてに目を通した方はおめでとう、もう一流のsns中毒者です。

 

禁煙と似ているな、と思った方はその通りで、人間の脳味噌に焼き付けられた快楽の刻印なのでちょっとやそっとじゃ克服できません。

snsを見るな、アカウントを消せ、と言われてもおそらく無理なあたりタバコよりも中毒性は高いかもしれません。

利用方法を限定する、といった方法が一番現実的かもしれませんね。

 

また何百、何千といった友達リストも基本的には無意味です。

一般利用でしたら本質的には無意味なのですが、ある種のバロメーターとして認識されていますね。

bboyビジネスを展開するためには非常に有益かと思いますが、それはある程度の知名度を得た後の話でしょうか。

ワークショップ、レッスン、ジャッジ、物販、イベント、自己ブランディング、、、複数の収益路を確保するためにむしろ必要かと思います。

まぁそんな人はごく一部なので基本的にはsnsに惑わされ時間を浪費しないように、練習に明け暮れるのみ、といったところでしょうか、、、

ブレイク界は既にレッドオーシャンで血にまみれている

一昔前ならばキッズ、b-girlウインドミルやヘッドスピン、軟体ムーブをしていれば持て囃される時代がありました。

 

それが現在では大人顔負け、男顔負けのパワームーブやスタイルをやるキッズ、b-girlが次々と誕生しています。

 

bboy界は常に進化し続けており、一瞬でも気を抜けば何万光年もライバルから差を付けられる弱肉強食の世界であり非常にシビアなものです。

まさに血で血を洗うレッドオーシャンであり、そうした日進月歩に遅れるとローカルbboyとして細々と続けるか、引退を余儀なくされます。

そんな中でも、b-girlやキッズはそこそこ出来ていれば評価されていたブルーオーシャンな時代がありましたが、現在ではbboy界以上の血みどろの世界になっています。

舐めてかかるとボコボコにされます。

 

とは言っても、b-girlに限定すると実はまだまだ新規参入の余地は十分に残しており、例えば、男ばりのトーマスフレアー、Aトラ、エアチェアムーブ、高速ムーブなどですね。

上記のものはほとんど見たことがありません。

身体上、骨格上、筋肉量の問題でそもそも出来ないものなのか、はたまた既成概念をぶち破るようなスーパーb-girlが現れるのか。

 

キッズ界においてはレッドオーシャンぶりに拍車がかかっており、スーパーキッズ達が量産されている現状があります。

そこから読み取れることとしては、優秀な指導者とブレイクエリートの存在です。

日本が世界のbboy達に手も足も出なかった時代はとうに過ぎ去り、メソッドやシステムを確立した優秀な指導者達が日々ブレイクエリートを育成し輩出しています。

こんな日が来るなんて一体誰が考えたでしょうか。

非常に素晴らしく喜ばしいことで、諸手を挙げるしかないと言った状況ですが、その裏では後発組の虚無感を誘うきらいがあるのではないでしょうか。

bboyingが誕生してからの数十年間で繰り返された幾多もの試行錯誤により、削ぎ落されるものは削ぎ落され、淘汰されるべきものは淘汰され、youtubeによりbboyの理想像について全世界的な共通認識が出来上がっている中で、現代bboyingは鋭敏なまでにブラッシュアップされています。

技の難易度・最後までフリーズを決めきる体力・他人と被らない発想力・膨大な練習量に裏打ちされた正確な再現性・フレイヴァーやリズムの体得・音楽の聞き込み、などなどやることが多すぎていくら時間があっても足りません。

世界に打って出るためには、数あるプロスポーツのように幼少期から過酷な修練を積まないといけない状況が出来上がっています。

世界を狙うならば、現在では中学生から始めても厳しいのではないかと思います。

よほどの才能、練習量をこなさないと先発のブレイクエリート達との差が埋まらないのです。

異常に専門性が高くなり、競技として真剣に取り組む場合、開始時期が直接ステータスに響いてきます。

以前と比べて門戸は広く開放されているにも関わらず、底なしの奥深さのために挫折を余儀なくされるbboyが今後はさらに増えていくのではと。

 

現状、過酷さとは裏腹に自己満足の追及で留まっているブレイク界において、習い事としてbboyingをキッズにさせることで将来どういったメリットがあるのか、という部分も十分吟味する必要があり、taisuke、isseiといったスターbboyが10年後にどういった立ち位置を確保しているのか、といった点は非常に興味深いところではないでしょうか。

また、 右を見ても左を見ても血みどろであれば必ずまだ掘り起こされていないブルーオーシャンを発掘する人間が出てきます。それはともすればzuluのようにムーブの難易度のみに捕らわれない価値観の提示・創出のように、カルチャー由来なのか、ビジネス由来なのか、それともまったく違う観点からのものなのかはわかりませんが、これまでの歴史上起こりうる可能性は高く、レッドオーシャンが故に発生する楽しみの1つとも言えるでしょう。

AB-BOYの考察

考察、というほど深くもなく硬くも無いのですが、、、

題名の通り、ab-boyについてです。

 

大御所や通常のbboyスタイル・bboy musicを好む層は強烈な拒否反応を示し、かと思えば熱狂的なプレイヤー・ファン層がいるという、bboy界の最果てでもあり強烈な熱源でもある、矛盾を内包した特殊の極地に位置しているab-boy界。

 

それほど長くもないbboyの歴史においてここまで賛否両論極まれり、と言ったジャンルが今まであったかというくらいに際立った個性を放つab-boy界ですが、客観視してみると何層にも積み重なったファクターで現在の隆盛に至っているのだな、と感じさせられます。

 

まずは、音楽的なアプローチからのジャンル確立かなと。

 

bboy界においては、音楽的なアプローチよりもシチュエーションやムーブからのアプローチが非常に多いです。(無いわけではありません。)

初期の基本技は他ジャンル、あるいは既存の技からインスピレーションを得て誕生している経緯があります。

中国拳法、サルサ、体操、カポエラ、アフリカンダンス、、、などなど現代においても樹形図のようなムーブからの派生を非常に多く読み取れます。

 

一方、現代に存在するダンスジャンルやステップは基本的には音楽ありきで、その音楽にマッチした形で発生してきました。

極端な話ではありますが、クラシックでbboying、break beatでバレエを踊ることの違和感を想像してもらえればわかりやすいかと思います。

 

翻ってab-boyは自分が踊りたい曲で、自分の得意なジャンルを踊る、という、ムーブアプローチでもなく、アニメミュージックから着想を得てまったく未知のダンスジャンル・ステップを確立するでもない、あくまで既存のダンスジャンルを踏襲しつつ「a-musicでありさえすれば何をしてもいい」というカオスな思想を軸にbboy界に1つのジャンルを確立しました。

「フレッシュ・オリジナルであれば何をしてもいい」時代があったbboy界ですから、こうしたカオス観は相通ずるものがありますね。

今まで様々な音楽を介して発生したダンスジャンルがa-musicの名の下に集結するわけですから、仮に音ハメをしていても根本的にムーブと音楽がマッチしていない違和感は厳然として存在しています。しかし、その違和感すらも織り込み済みの熱量ですから詰まるところ理屈では無く「これはこれ」といったところでしょうか。

ただ誤解が無いように、ab-boyの方々は曲に非常に強い思い入れがあるため音楽への反応性は非常に高く、通常のbboyよりも音楽の聞き込み具合が深いように感じました。

 

 

価値観の変容によりアニメ・声優文化への蔑視が和らぎ、市民権を得ることができたことも大きな要因でしょうか。

一昔前のオタクと言えば、宅八郎宮崎勤などからもたらされた気味が悪く後ろ暗いネガティブなもので、一言で言えばただただ「気持ち悪い」ものでした。

それが現在は非常にカジュアルなものになり、インターネットの発達により従来であればダンスに関わりの無かった層が大量に参入し、パイオニアbboyの活躍も後押しになり、長らく暗黙の掟としてタブー視されていた「アニメソングで踊る」という行為の正当化に成功しました。

「赤信号、みんなで渡れば怖く無い」の精神ですね。

もはや赤信号ではありませんが。

アニメファン・声優ファンであるダンサーの「アニメミュージックで踊りたい」という願望は、「アニメミュージックで踊ることの気恥ずかしさ」「ディスの対象になる恐怖」から、長らく抑圧されていましたが、諸条件が重なったことで局知的に爆発的な隆盛を極めることになります。

 

ニコニコ動画、パイオニアbboy、テレビ、インターネット、イベント、、、

 

 

エンターティメント性の高さも特徴で、一般受け、、、とまではいかないかもしれませんが数多のアニメファンを取り込む要素をふんだんに備えています。

フリースタイルバトルよりもフリーでありつつ、かと思えば強烈な縛りが存在している点もコンセプトがブれない要因であるのかなと。

bboyに対する認知拡大に一役買っていることは間違い無く、bboyのオーバーグラウンド化を望んでいるab-boyアンチは一概に否定できないところではないでしょうか。

 

アニメ・声優を媒介としたストリートダンス、ひいてはbboyingの普及といった側面からは非常に強い意味を持っていると思います。

 

 

しかし、前述したこうした要素の全てがbboyの本筋を好んでいる層の頭痛の種になっていることもまた事実で、bboy musicから繰り出されるbboy moveのdopeでcoolな、bboyの本質的なエッセンスが脱落していることが理由かと思われます。

bboyはhiphopのエレメンツであり、既知のhiphopとかけ離れすぎている、あるいはhiphopが存在していない状態であると。

文字にするとわかりづらいですねw

アンチとしてはシンプルに「かっこよくない」という一言に尽きるのかもしれません。

 

長くなってきたのでこのへんで、、、

taisuke vs hong10 red bull bc one

bc oneのtaisuke vs hong10を改めて観て思うこと。

 

hong10は細かいミスをするものの必ずリカバリーしてフリーズまでまとまっており結果的に圧倒する形になっていたように思います。

 

taisukeはやはりショートムーブがネックになっている、、、と言ったところでしょうか。フリーズも流れ気味で、ムーブ先行の急いてる感じで音楽性も少し微妙な感じがしました。

ショートムーブに関してはbc one当初から言われていたことで、スタミナの問題なのかポリシーの問題なのか定かではありませんが、逆を言えばそこさえ克服していれば早い段階でチャンピオン、あるいはlilouのように複数回の優勝もあり得たかもしれません。

タラレバの話をしてもしょうがないかもしれませんが、おそらく全世界のbboyが疑問に感じている部分かもしれません。

なぜショートムーブにこだわるのか?という部分ですね。

 

一般のバトルでもムーブが短いことが敗因になるのは普通のことであり、彼ほどのレベルであれば十分理解していたでしょうから、あえての美学として、という側面が大きかったのではと想像してしまいます。

個人的にも長くムーブすることがいいのか?という思いはありますので、ショートムーブだからこその良さを理解する考え方はあって然るべきだと思います。

 

いずれにしても記憶に残るバトルの1つとして今後も語り継がれていくことになるでしょう。

ユースオリンピックでブレイクダンス

オリンピックのことを書いたと思ったらタイミング良くユースオリンピックでダンススポーツがプログラムに加わるとのニュース。

 

ダンススポーツという名称、男女混合でブレイクダンスメイン、というところに一抹の不安を感じる部分もあるがまずは今後のブレイクダンスの展望を占う試金石として非常に重要な意味を持つことは間違い無い。

 

しかしダンススポーツという名称、、、あくまでスポーツであることを前面に押し出したようなダサいネーミングだが、名前に引きづられてスポーツの部分に特化しすぎなければいいけど、、、。

 

男女混合の比率も決まってるんだろうか?

決まっていないなら女子は1人でも入っていればいいんだろうか?

そしてバトル中にその女子を出さないことも可能なのか?はたまた全員出ないといけないのか?

日本はbgirlも充実しているから問題無いにしても、bgirl事情が遅れている国としては弁慶の脛になりかねないメンバーをバトルで出すのは大きな痛手だ。

 

ジャンルはブレイクオンリーなのか?

ベースはブレイクで他ジャンルもアリなのか?

そうなるとより審査が難しくなりそうだけど。

 

ジャッジはどうなるのか。

まさかいつも通り勝った方に手を挙げるパターンじゃあるまい。

それじゃ不正し放題だ。

ただでさえ自分の国のbboyにしか手を挙げないジャッジもいる中で、公平性を保つためには点数化、数値化による可視化が絶対条件だ。

手を挙げるだけならなんとでも理由付けができてしまう。

公式にスコアが残る形じゃないと、それこそスポーツマンシップに則らない不平不満の渦巻く競技になってしまう。

ただな~こっちの方がよりbboyらしかった、っていう理由での勝ち方も存在する中で果たしてどういった審査基準が設けられるのか期待半分不安半分、、、。

 

数多のbboyイベントで成しえなかった厳格な得点制度がオリンピックで初めて誕生するんだろうか?

難度Aだの難度Eだの、、、でもそれを上回るmusicaltyの要素、bboyの要素やらにも数値というか難度めいたものが付くんだろうか?

 

競技の内容よりも、外堀を埋めるシステム作りの方が楽しみかもしれない。

bboyのスポンサー

bboyのスポンサーと聞いてすぐ挙がるものとしては

 

red bull

monster energy

ムラサキスポーツ

puma

g-shock

new era

 

有名どころだとこのへんでしょうか。

 

ドリンク

時計

帽子

 

tribalは今はどうなんでしょう。

tribal crewがあったくらいなんでスポンサーだったとは思うんですが。

今はほとんど見ませんが一時期はみんなtribalってくらい流行ってましたね。

 

bboyを広告塔にすることでメリットのある企業が入るんであれば、メットメーカーなんかも入って良さそうですけどね。

と言っても今は誰も現場で使ってないか、、、。

 

ちょっと意外なのはg-shock

ガチで踊る時に時計を付けるなんてありえないからbboyへの訴求では無く、ブレイクダンスのような激しい動きをしても壊れないよ、っていうマス層への宣伝なんだろうか。

 

puma以外の靴メーカーはどうなんだろう。

bboyは練習ですぐに靴がヘタるから一般の人と比べて買い替えの回転が早いし、靴好きが多いからコレクションとしても揃えることが多いし、ターゲットとしてはうってつけなんだけどいかんせんパイが小さすぎるのか?

adidasnikenew balance、conversあたりも実はスポンサードしてたりするんだろうか。

break danceをオリンピック種目にする必要はない

オリンピックとブレイクダンスはそもそも相性が悪いのではないか。

 

ストリートカルチャーから発生した競技が共通して内包する反体制的な思想はオリンピックの理念とは程遠い。

 

スノーボードがオリンピック種目になった際にもある種の違和感がどうしても拭えなかった。

他の競技ではおよそ目にすることの無いタイプの選手達であり、ありていに言えばオリンピックっぽくないのだ。

案の定、服装問題から反省会見まで含めて炎上する羽目になった。

それは視聴者がオリンピックにふさわしくない服装・態度に抗議したことに端を発する。

2020年にはスケートボードが新種目として登場するが、プレイヤー層のことを考えると競技以外の場面についての批判が噴出する可能性は高い。

これはスノーボードスケートボードをしている人達を揶揄しているわけではなく、また良い悪いの話でもない。

ただオリンピックらしくないから、という理由だけだ。

お行儀良くしていなければすぐにバッシングの対象となる。

出場選手もオリンピックがどういうものなのかは当然理解しているはずだが、それでもあえてストリートカルチャー性を押し出してしまえば途端に集中砲火を浴びることになるという前例を作ってしまった。

 

オリンピックに出場する選手はオリンピックにふさわしい格式を持っていなければいけない、と視聴者は考えている。

 

オリンピックは、物心が付く前から厳しい練習を休むことなく長年継続してきたスポーツエリート達のための祭典であり、厳格なルールの下で執り行われることになる。

道で見かければ眉をひそめるようなタイプの人間が出てくれば、それだけでオリンピックの格式を下げるといった理由で抗議されることになるのだ。

 

オリンピックは全世界の老若男女、あらゆる人種の人間が視聴する世界的なイベントだ。

 

当然ストリートカルチャーの反骨的な姿勢を好ましく思っていない層もいる。

 

では、そうした中でブレイクダンスが種目になった時にどうなるか?

 

ゴリゴリのタトゥーだらけのbboyはどうするのか?モザイク?出場不可?

出場に際し服装の問題も出てくるだろう。ダサイパツパツのキラキラタイツでも着るのか?

髪型もさっぱり短髪で?

音楽にも制約が出る。不良が聞くような大衆が嫌う音楽はダメかもしれない。

DJはどうなるのか?不謹慎だと思われないだろうか。

競技形式はバトル形式なのか?show方式なのか?バトル中に不謹慎な態度は取ったら大変なことになるかもしれない。

チーム?ソロ?

ブレイクダンスが種目になるなら、他のストリートダンスのジャンル、あるいはバレエ・ジャズ等の方が先に採択されるはずでは?

フィギュアスケートと親和性の高く格式・歴史のあるバレエが、ダンスというカテゴリーにおいてオリンピック種目になるのが先ではないか?

 

などなど疑問が絶えない。

 

そして最大の問題点として、競技の数値化が非常に困難であることが挙げられる。

 

オリンピックがスポーツの祭典であり、スポーツというカテゴリーである以上はっきりとわかる形で優劣を付ける必要がある。

まぁそもそもブレイクダンスはスポーツじゃないから、、、と言うとじゃあ話は終わりじゃん!という身も蓋も無いことになるのだが、あえて続けるとして、、、

 

たとえばR16では採点方式を採用しており、ファンデーション・オリジナリティ・ダイナミック・正確性・戦略という5項目から成っている。

ジャッジによるバイアスを排除するための試みである。(と自分は理解している。)

ただこうなるとスタイラーやパワームーバーは途中で必ず負けることになってしまう。

オールラウンダーとパワームーブやスキルをまったくしないフットワーク主体のbboyが

バトルをした時に、全体の流れで後者が勝っていると判断しても結果的に前者が得点を取りやすいシステムのため、矛盾した結果が出る可能性がある。

素人目線で考えれば得点で勝っているんだからそれでいいんじゃないの?となるが、bboyの現場では得点だけでは推し量れないものがあり、それはダンスに共通したメリットでもありデメリットでもある。

フレイヴァーやキャラクター、エッセンス、遊びの部分をどう解釈したら良いのか、という問題もあり、また異なる意味でのバイアスが発生する可能性がある。

 

また、仮にオリンピック種目にするならば上記の採点5項目では曖昧すぎる。

ファンデーションはどの技を意味するのか、試技中に何回行うのか、技ごとの点数設定はどうなるのか。

オリジナリティは、何をもってオリジナリティと判断するのか、オリジナリティの判断基準の明確化、ジャッジが知らないだけで実はバイトの場合はどうしたらいいのか。

ダイナミックの基準も曖昧だ。

正確性や戦略は比較的競技に馴染むので特段記すことは無いが、、、。

 

こうした数値化を困難にしているのがbboyの特殊性にあると考えられる。

 

たとえば lil Gとcheeritoのバトルを素人が見た時に、果たして同じジャンルのバトルだと理解できるだろうか。

二人とも世界的なbboyであるがスタイルがかけ離れすぎているため、素人目から勝敗の付け方が非常にわかりづらい可能性が高い。

 

例えばマラソンや100m、水泳やハンマー投げなど記録を争う競技は記録が良い者が勝つ。

サッカーやバトミントン、野球などの球技は相手より点を取った者が勝つ。

 

ブレイクダンスはエアーを相手より飛べば勝てるわけでも無く、相手の隙を突いて点を奪うような競技性も無く(厳密に言えば戦略、バトルコミュニケーションとしては存在するが)、ひたすらにジャッジの主観に委ねられることになる。

 

そして他ジャンルと比べてもスタイルの幅が広すぎるために、もはや異種格闘技戦の様相を呈していることがジャッジ、数値化の壁として立ちはだかっているのである。

 

オリンピック種目になってしまえば、点数の取りやすいスタイルしかしなくなるため、オリンピックにありがちな無味乾燥な演技をするbboyが量産されることになる。

 

ブレイクダンスをオリンピック種目にしたいと言っている人達は、もしそれが達成された時にはオリンピックにしたいと思っていたエキサイティングでクールなそれとは異なるものを見せられる可能性が高いことを十分に覚悟しておいた方がいいかもしれない。