エアフレアーのオリジネーター

オリジネーターシリーズ第2弾ということでエアフレアーです。

エアートラックスじゃありません。

 

濃厚なのはFreddie Freshですね。


Freddie Fresh The original air moves 1984

 

17秒あたりで飛ばしてますね。

 

現代のダイナミックなエアフレアーと比較すると少々こじんまりとしてる感はありますが。

 

1984年表記が間違いなければ33年前にはエアフレアーが誕生していることになります。

 

情報の流通が皆無の時代に、跳ね率の高いナッツクラッカーにハイスピードタートル、縦気味ではありますがヘイローもかましてるあたりフィジカルエリート臭が半端ないですね。

 

トップロックも上手ですし、フリーズからのリズム取りなんかはオールドスクール臭たっぷりでこれだけでご飯3杯はいける渋さですね。

ヘッドスピンの歴史(適当)

ヘッドスピンの歴史について(適当)

bboyとして世界で初めてヘッドスピン(ドリル?)をしたのがBBOY SWANEらしい。
bboyキッド・フリーズはエンドレスヘッドスピンを発明したと考えられているが、1933年の映画「野生の男の子」でヘッドスピンの映像を確認することができる。
1898年4月21日にトーマス・A・エジソン(Thomas A. Edison)の「Aストリート・アラブ(A Street Arab)」でもヘッドスピンを確認することができます。

というわけでbboy kid freeze


KID FREEZE (Dynamic Rockers) | Practice Session Mid 90s


めちゃ上手いですね。
説明文的にコンティ開発したのがこの人っぽいですね。
ヘッド終わりの謎のつま先立ちが気になります。

で、野生の男の子。


1933 Wild boys on the road

 

アスファルト?ぽいとこでめちゃくちゃ綺麗なドリルかましてます。

そしてキレキレのロンバク。

なんだこいつ。

 

ラストはストリートアラブ


1898 thomas edison

 

練習始めて一週間くらいのクオリティのドリルですが、119年くらい前なので許してあげましょう。

ジャッジの問題は永遠に

とかくジャッジで紛糾しがちなbboy界。

 

あからさまな依怙贔屓。

 

ただ長くシーンにいるだけの化石スタイルな大御所風。

 

現役がやれどレジェンドがやれど個人の価値観に依存しすぎているため、根拠を提示されても腹の中ではまったく別の事を考えてるかもしれない。

 

明確に点数化できないにも関わらずバトル後すぐにジャッジが下される。

 

ジャッジの時間がこれだけ短いと結局はフィーリング頼りと思われても仕方がない。

 

点数化できないからこそジャッジ同士の議論が必要なはずだが、擦り合わせも無くとりあえずの多数決制。

 

究極の話、なんとなく好き、なんとなく嫌いの世界である。

 

あからさまに圧勝と思われる方が負けることもある摩訶不思議。

 

どこまでいってもグレーゾーン。

BBOY PARK 2017~イッセイ劇場~

bboy park 2017は完全にイッセイの独壇場でしたね。

 

何をしても全てひっくり返される虚無感たるや。

 

これ以上ないほどに他を圧倒し、プロフェッショナルがなんたるかを見せつけた形でした。

 

年齢を考えても、もしかすると今後10年はイッセイ天下が揺るがない可能性があります。

 

そうなると俄然フューチャーされる問題として、「誰がイッセイを打ち負かすのか」ということが、日本bboy界における次の大きなターニングポイントとして注目されることになります。

 

大きく俯瞰すると、スパルタニックロッカーズ、bronx、ワセダ、一撃、モータルコンバットなど、日本特有のチームとして強い傾向の中でタイスケがソロの強さを見せつけ、イッセイがひとまずの帰結を見せた、という流れがあります。

 

つまり「イッセイ越え」が次の時代の転換点になることは間違い無く、それが一体いつになるのか、ということですね。

 

イッセイを越える化物なんて想像できない、と思いつつも必ず想像を越えた化物が登場するのがbboy界であり、そのインフレぶりはさながらドラゴンボールのようで、さほど遠くない未来に衝撃的なその瞬間を目の当たりにするのかもしれません。

怪我をしないことの重要性

あまり表だって語られることが無いbboyの怪我についてです。

 

bboyであり続ける限り怪我から逃れることはできません。

 

特にパワームーバーは深刻な怪我に悩まされていることが多く、一生付き合う必要が出る場合もあります。

 

スタイラーについても、ふとした瞬間に大きな怪我をすることも稀ではありません。

 

当たり前の話ですが、難度が上がれば上がるほど、過激な表現をしようとすればするほど肉体は壊れていきます。

 

bboyの怪我で多いのは手首と膝、腰あたりでしょうか。

 

重力に逆らい床と闘うジャンルが故に怪我の仕方も特徴的で、かつ深刻化・長期化しやすいきらいがあります。

 

考えて見れば当たり前の話で、bboyingほど日常生活とかけ離れた動きをするダンスジャンルも無く、日常とかけ離れた動きをすればするほど怪我の発生率は加速度的に上昇します。

 

普通に歩行をしていて怪我をする人は稀です。

 

それは二足歩行に特化した形態をしているからに他ならず、ごく自然な形だからです。

 

ももより太い二の腕の人はほとんど存在しません。

 

それは足で歩行をすることが人間として自然な姿であり、bboyingやサーカス・体操でもしてない限り腕で体を支える必要性がないからです。

 

現在の二足歩行は腕で体を支えることに意味が無いという結論です。

 

それが、しゃがんだ姿勢や逆立ちをメインとして、あまつさえそこに回転を加えるなどということは自ら怪我をしにいくようなもので、自然の摂理に反したものです。

 

無理を通せば必ず皺寄せが生じます。

 

そもそも無理を通そうとするジャンルであるが故に怪我の防止については一層声色高く叫ぶ必要があるにも関わらずあまり話題に上ることがありません。

 

怪我をした人間に対しては、ただただ運が悪かったねーで済ませる他人事ここに極まれり、の世界です。

 

怪我をすれば数週間、数カ月、数年を棒に振ることになります。

もしかするとダンス自体ができなくなるかもしれませんし、スタイルの変更を余儀無くされるかもしれません。

できていたことができなくなる失望感に襲われることもあるでしょう。

 

日々テクニックが深化しているbboying界において怪我の予防は最優先課題であり、コンクリートソウルな考え方は排除されるべきと考えています。

 

bboyingはもはやストリートダンスの枠組みにははまらないと考えてもいいかもしれません。

 

怪我によるデメリットが最も大きいジャンルがゆえにストリートであることに固執する必要性がまったくないからです。

 

これはカルチャーだから、という言葉で無理を強いる意見は最善を望む者にとっては害悪でしかありません。

 

怪我をしないためにどうしたらいいか。

 

怪我をしない強いフィジカル、怪我をしないような予防運動、怪我をしないような合理的な練習方法、怪我をしないようなケア、怪我をしないような日常生活。

 

怪我を予防することに対してもっと大きな関心が寄せられてもいいはずなんですが、なかなか浸透しないところにも大きな問題が潜んでいると考えていいかもしれません。

型にハマらないことが魅力なのに型にハメたがる奴らがいるのはなぜだ?

現在のbboyingは日進月歩で、次から次と新しいアイディアが産み落とされている。

 

時にはコロンブスの卵のように

時には永永無窮のごとき鍛錬の末に

 

信じられ無いようなアイディアで溢れかえっており、そこには先人のオマージュや、先人からのインスピレーションが多分に含まれているもの、まったくのフロンティアであるもの、様々ではあるがどれも斬新でフレッシュだ。

 

ファウンデーション・ベーシックから派生しているものもあれば、未知の領域からのものもある。

 

bboyingは、それを発展させるために、衰退させないために、ありとあらゆるアイディアが寄せ集められた集合体であり、今現在も進行形のカルチャーだ。

 

にも関わらず「これはこうだ」と型にハメたがるbboyもいる。

 

型にハマらないことが許されているカルチャーにも関わらず、だ。

 

浅いと言えども歴史を積み重ねてきた中で「型」を重視する向きも理解できる。

 

そして「勝ちやすい」方向性もほぼ定まっている中で、そうした「型」にハメていくことに合理性があることは一目瞭然であり、そこに言葉を差しはさむ余地は無い。

 

無いのだが、それでもあえて言うならば、「勝つこと」や「みんなと同じかっこいい型にハマる」ことだけに価値基準が無いのも明らかだ。

 

もっと言うならば「フレッシュ」であり続けることや、クリエイティブであることにこそ価値がある。

そして、フレッシュかつクリエイティブであり続けることは、変化を嫌わない、ということでもある。

変化を嫌い始めた瞬間に衰退が始まる。

 

昨日の自分、1か月前の自分、1年前の自分、10年前の自分

 

自分はフレッシュでいるのか?

 

単純な進化のみならず、断捨離におけるフレッシュも存在すると考えている。

たとえば、エアチェアが得意でそれしかしないような奴が突然一切エアチェアをしなくなったならば、それはそいつの中で何らかのマインドチェンジがあって変化したということだ。

 

型にハマる、ということはもうそれ以上が無いということである。

型はそれ自体が完成形であり変える必要が無く、また変えてはいけないからだ。

型以上にならず型以外にもいけず。

 

で、結局それっておもしろいの?と。