流行りに乗った時点で終わる。
もう少し詳しく言うならば、流行りに乗った時点で成長が止まる、ということである。
各年代のbboyを見るとその年代ごとに流行した、いわゆる一世を風靡したbboyのシグネーチャームーブを得意とする傾向を見ることができる。
大衆は流行に逆らうことができない。
大衆は常に愚かである。
容易に扇動可能なことはbboy界も例外ではない。
オリジナルが流行れば体裁もcoolさもドブに捨てオリジナルを追及し
ヘッドスピンが流行ればとにかくヘッドスピン
ZULUスタイルが流行ればとにかくZULU
軟体が流行ればとにかく軟体
スレッドが流行ればとにかくスレッド
さらに事態を重くしているのが、いくら流行と言えども人間の体はそんなに早く適応することができず、それ相応の対価を支払う必要があること。
また、固定観念の塊であり、脱皮するために喜捨をすることが非常に困難であることが挙げられる。
つまりその時代に評価されやすいムーブを会得するために時間をかけて自分の動き(単なる流行り、バイト、パクリではあるのだが)に組み込んだはいいが、賞味期限のサイクルが短くなっている以上すぐに腐り、腐っていることを自覚しながらも注ぎこんだ時間を考慮すると手放すことができないジレンマに縛られた時点で bboyとしては死んだ、と言って差支え無いかもしれない。
いわゆる損切りができない、ということだ。
長期保有し愛着が湧いているが故に暴落し続けてもそれから逃れることができなくなる。
浮かぶ目が無いにも関わらず。
時代を彩ってきた様々なムーブは必ず基礎に収斂する。
その時代には超人的と思われた動きも、数年もすればキッズ達が基礎としていとも容易くこなしてしまう時代だ。
次から次へと課題を投げかけてくるbboyムーブメントへの最適解は、自らが新たなムーブメントを起こすことである。
しかしこれは一握りの天才だけが成しえる偉業であり、凡人には不可能だ。
それならば、ニュームーブに臆せず常に挑戦し続けることだ。
bboyの99%は謙虚さに尽きる。
常に自分は初心者である、という意識である。
年数を重ねると驕り高ぶり、賞味期限が切れ腐臭を放つムーブに固執してしまう。
常に自分は学習者であることを自覚していれば一生bboyingを体現し続けることができるかもしれない。