bboy Just Fit ~地方の活路~

言わずと知れたbc one japanで優勝経験のあるbboyです。

仕事、家庭、地方在住というbboy活動を継続するにあたって足枷となる要素を抱えつつも、top bboyとしてbc oneで名を馳せたことは日本のbboy界には衝撃的な出来事だったのではないでしょうか。

 

bboyシーンのメインは常に関東か関西か、といった様相を呈しており、人口比、環境を考えてもそれは当たり前の話ではあるのですが、そうであるがゆえに地方bboyの躍進がことさら新鮮に映る、という側面があります。

 

地方bboyが全国規模の大きなソロバトルで優勝することは並大抵のことではありません。

 

日々の練習をするモチベーションの段階で折れることがほとんどかと思います。

 

また、予選通過をしても本選では全国の高い牙城を突き崩すことがなかなかできません。

 

寒冷地であればあるほどスタイル重視になる傾向が見れらるのでスキル・パワー不足になることも全国の壁に阻まれる原因の1つでしょう。

東北や北海道ではスタイルメインのbboyが多く、パワーやスキルに関しては基本に留まり世界からはかなり遅れているような印象があります。

また世界的に見てもカナダや北欧に関してはスタイルメインのbboyが多い印象です。

カナダに関してはスレッドスタイルを生みだすような特殊な地域性がありますし、北欧はとにかく渋いといった塩梅で、寒冷地ならではの傾向と言ったものが読み取れそうです。

気温と運動の関連性は大いにあって、練習環境の整っていないbboy界ではさらに顕著かと思います。

 

こうした気候的なハンデと併せて、ビッグイベント開催がほとんど東京であること、練習仲間のレベルがあまり高くないことで低く留まるモチベーション、練習場所や周囲の理解度など首都圏と比べると雲泥の差があります。

 

それに家庭と仕事が覆いかぶさってくれば練習もままならなくなる人がほとんどではないでしょうか。

 

こうしたハンデを持っているにも関わらずソロで結果を出すことが可能であることを体現したbboyとしてjust fitは非常に稀有な存在なのではないでしょうか。

Top bboyの失態

BOTYに続きFSSも日本勢の大躍進でした。

 

特にisseiの勢いが凄いですね。

 

有名になるとディスが付き物の中で、isseiに関しては比較的ディスが少ないように思います。

全ての動きが同じように見える、などありきたりなディスに終始するばかりで、やはりあのエナジーの発露や場の支配力を見ると格が違うなと。

ivanまでは言い過ぎかもしれませんが、彼を彷彿とさせるようなカリスマ性ですね。

 

今回話題になったのはisseiの嘔吐、klejuのおふざけが過ぎる点でしょう。

 

isseiの嘔吐に関しては、肯定的な見方しかないのではないでしょうか。

嘔吐するような状態でもほとんどミス無く決勝まで勝ち抜くフィジカルの強さ、また嘔吐するまで自分を追い込むメンタルの強さ、などレジェンドになることが確定しているisseiにとっては勲章となるエピソードの1つになるかと思います。

 

それに引き換え、今回のklejuは少しおふざけが過ぎがっかりした人も多かったのではないでしょうか。

元々ああいったスタイルですし、ムーブレスポンスは重要な要素ではありますがルーティンの邪魔はドン引きものでしたね、、、。

観衆の引き具合もかなりのもので強烈なブーイングが起きてもおかしくないレベルです。

上げ合いの熱いバトルを見たいと思っているbboyが大半の中で、あの行為は完全にbboyとしての格を落としましたね。

あまりカマせていない上に寒いことをしてしまったおかげで、その後のisseiのカマシがさらに際立ってしまい、完全にピエロという、、、。

併せて序盤でのisseiのklejuへのアンサー、レスポンスはかなり笑えますが、対するklejuのアンサーは嘔吐の揶揄でそこは触れたらあかんやろ、、、という感じで、今回のklejuは触れてはいけないところに触れまくってbboyとしてのリスペクトも失い自滅したような形でしたね、、、。

 

lilouの飛び越し失敗やpacpacの謎の反抗期などビッグネームのbboyがおかしなことをするとことさらガッカリしてしまうので、その気概や反骨心をもっとムーブに注いで欲しいなと思う限りです。

 

バトルイベントの一般客

bboyバトルの一般客は少ないです。

 

なぜならbboyバトルに興味のある層が少ないからです。

 

普通の人は貴重な土日にbboyバトルを見ている暇など無く、そんなの見てる暇あったら野球観戦やライブに行くよ!という層の方が圧倒的に多いかと思います。

 

野球観戦には野球未経験の人も多くいますし、ライブには楽器に触れたことも無い人だって見に行きます。

 

bboyバトルは?

 

観客=参加者と言っても過言では無いでしょう。

あるいはダンス関係者。

その他の未経験者は付き合いや諸事情が無い限りイベントに足を運ぶことはありません。

 

まぁあまりにもマイナーなため当たり前と言えば当たり前なんですが、調査によると現在のストリートダンス人口は600万人ほどいるとのことです。

ストリートダンスは、です。

そのうちbboyが一体何人いるのかはわかりません。

 

そして、そもそもどういった基準でストリートダンス人口としてカウントしているのか謎ではありますが、とにもかくにも日本で600万人がストリートダンス経験者であると。

日本の人口の約5%です。

ざっくりとですが100万人の都市であれば5万人ほどの経験者がいることになります。

100万と言えば政令指定都市の規模ですが、こうした都市では5万人がストリートダンスに興味があることになりますが、ダンスイベントに来場する人数は、、、、となると恐ろしく乖離があります。

もちろん全員が全員見に来るわけではありませんし、興味のあるジャンルも異なるでしょうから杓子定規にいくものではないでしょうが、ある特定のジャンルのイベントを行ったとしてもほとんどは2桁ほどの来場数です。

 

現場に来場する人数はカウントされているダンス人口に対して1%未満です。

というか0.3%ほどだと思います。

 

600万人もいればいくらでも客が入りそうなものですが、、、、

 

気付きが全てを変える

bboyには2種類しかありません。

 

いつまで経っても現状維持のbboy

 

時の経過とともに常に成長していくbboy

 

 

現状維持はbboyにとって最も唾棄すべき概念と考えていいかもしれません。

 

これでいいんだ

 

変わる必要がないんだ

 

という保守的な思考が、アグレッシブで常に革新を求めるbboyカルチャーと相反するものだからです。

 

これが俺のスタイルなんだ

 

とぶち上げる輩もいますが、本来的な意味を履き違えています。

 

パワーしかできないから、スタイルができないから、音が聞けないから

 

パワーしかしない、フットワークしかしない、リズムは刻まない

 

好きなことしかしない、できないbboyが口にする言葉には諦観が滲み出ています。

 

これが俺のスタイルだから貫くんだ

 

という耳心地の良い言葉で自分も周りも騙して、苦手なことや辛いことから逃げているだけです。

 

本来はあらゆることに限界まで挑んだbboyにしか口にすることができないセリフが、なぜか一般性を持って浸透してしまった結果、誰もかれもが口にする逃げ口上となってしまいました。

 

現状維持の後押しをしてしまうネガティブワードです。

 

翻って成長し続けるbboyとは?

 

とにかく自分に制約を設けず、あらゆる可能性を考慮していること。

 

そして気付くこと。

 

あんなに下手だったのに気付いたら驚くほど上手くなっている、という経験があるかと思います。

 

いずれも大きな気付きを契機として、小さな気付きを積み重ねていく好循環に入っていくことに成功した人達です。

 

気付き。

 

bboyに限らないことですが、これほど強力に行動習慣を変えるものはありません。

 

気付くことでbboyとしての根幹から変わっていきます。

ダンスにのめり込むことの代償

 人生を過ごす中で、大部分の人間はなるべく後ろ指を差されないような生き方を選択していきます。

 それは様々な経験を経る中で、そうした生き方が最も楽で精神的にも安定し、詰まる所、生存に適していることを学習するからです。

 人生は生存競争に生き抜くだけでは満たされません。

 財力、地位、名誉、他人からの称賛、精神的な充足、優越感、、、あればあるだけ人生は満たされていきますし、満たされた次の瞬間にはまた新たな渇きを感じ次から次へと欲望は押し留まることを知りません。

 

 ダンスに重心を強く置く者は、人生において最低限の必要な物すら持つことが困難な、いわゆる底辺、持たざる者に分類されることが多いです。

 一般社会で、今まで培ったダンススキルを活かすことはほぼできません。町興しや地域振興という大義名分を掲げたところで、結局満足するのはダンサーのみで、地域の住民は特に何とも思っていません。ただただ繰り返される日々の中で通り過ぎる取るに足らない事象の1つという認識しかありません。こうしたボランティアじみた行動は、主催者やダンサーの一時的な虚栄心を満足させるだけの徒労に終わることが往々にしてあり、やっている本人達ですらやってもやらなくても同じ、ということを薄々自覚している節もあります。時間と労力を無駄にしており、圧倒的なコストパフォーマンスの低さです。

 ダンサーはとにかく金が無い、時間が無い、人脈が無い、の無い無い尽くしのテンプレートのような存在です。

 やらないといけないことから逃げ続け、薄給のバイトをこなしながら、ダンス仲間と練習しかしていませんから当然ではありますが、ダンス以外何も残らなくなります。

 逃げ続けると逃げ癖が付きますし、逃げ癖が付いている人からはチャンスも逃げていきます。ある意味、負のバリアーを張ったような状況で、つるむ人間も環境も変わらないため思考は硬直化の一途を辿り一般常識からかけ離れた人間が出来上がります。

 

 そうした状況ですから、人生の難所を乗り越え、やることをやってきた人間達とは通常交わることがありません。

 社会人になってからダンサーと関わることが無いので、ダンサーのリアルがまったくわからず理解の示しようもなく、通り一遍のネガティブなイメージでしか捉えることができないこともダンサーへの理解がまったく浸透しないことの一因でもあるでしょう。

 仮に関わったところでネガティブなイメージが増幅するだけなのでそれも善し悪しではありますが、、、

 

 学生は好成績を残し偏差値の高い大学に行けば、いくらダンスをしようが何も言われませんし、社会人も仕事がデキるならば同様に何も言われないでしょう。

 

 自分に何も無いがゆえに、欲望の代替行為としてダンスにのめりこみすぎてしまう人達がいる、ということはあまり語られないことですが事実として存在します。

 

 自身のアイデンティティを確立するために始めたものが、本末転倒しいつしか自分自身を破壊することのないように、、、

BOTYのルーティン合戦

 BOTYで日本が2連覇、と一昔前なら考えられないような快挙です。

 

 しかし今に始まったことではありませんが、近年のBOTYと言えばルーティン合戦、SHOWの見せ合いと揶揄されるほどにソロでのぶつかり合いがまったくありません。

 

 そこは賛否両論なのではありますが、BOTYは開催当初より頑なにSHOWを主体としたイベント構成を崩しておらず、バトルがルーティン合戦になるのはBOTY主催側が意図した狙いを汲んでいるとも取れるため、ある意味自然な流れと言えます。

 

 しかし、BBOYING、並びにバトルに対する考え方は人それぞれなため、そうしたルーティンやSHOW偏重にアレルギー反応を起こすBBOYも相当数おり、批判の的となりやすいのも事実です。時代の変遷とともに増加するBBOY人口に比例するかのように世界的なイベントが乱立したことによって、一時期に比べてBOTYへの憧憬とも言うべき意識はかなり薄らいでいるのはないでしょうか。

 まぁそれでも世界的規模でのSHOW主体のイベント自体は非常に少なく貴重ではありますし、その歴史を考えてもイベントとしての格はやはり他の追随を許さないとも言えます。

 

 BBOYのSHOWが好きな方からするとまさに年に一度のBBOYの祭典と言って差支え無いでしょう。

 驚くほど完成度が高く感動的なSHOWがある一方で、BBOYにありがちなやっつけ感満載のSHOWまで、イベント内の温度差はなかなかどうして、、、と思うこともありますがまぁそのへんはご愛敬といったところで(笑

 

 これだけイベントが乱立しているご時世なので、思い切ってSHOWのみのコンテストに振り切ってしまうのも1つかと思いますが、やはり伝統のあるイベントですしバトルの無いBBOYイベントは画竜点睛を欠くに等しく消化不良になってしまうため難しいのかなと。

 

 いずれにしても今後も程度の差はあれ、BOTYが神格化され続けていくことに変わりはないでしょう。 

bboyにとってのオリジナルとは

 Youtubeで日々アップロードされているイベント動画を見るとオリジナルムーブに溢れており、まだまだbboyingには大きな可能性が潜んでいるんだなと胸を打たれる一方で、さて、周囲に目を向けてみるといやいや、、、それは思い違いか、、とうなだれた経験はないだろうか?

 

「オリジナルって何それ?食べられるの?」

 

と言わんばかりに動きから服装から丸パクリのbboyである。

 

開き直っているのか、バレていないと思っているのかは定かではないがもう丸まんまそのままというパクリを越えて劣化コピーになっているbboy達が一定数存在する。

 

「あのbboyに影響受けてるんだな~」

 

というのはほぼ100%伝わるもので、程度も様々ではあるが、例えばトップロックやフットワークなど一部にそのエッセンスを混ぜ込んでいるものから前述の完全コピーを目指している者など影響の表れ方は多岐にわたる。

 

影響を受けること自体は悪いことではなく、むしろ個人、集団、文化全体のブラッシュアップには欠かせないもので非常に重要なものである。

 

しかし、影響というのはあくまで自分というオリジナルな存在がある中に波紋を広げるための一滴であるに過ぎない。

 

そうした始まりの一滴が、気が付くと自分の全てを満たす状態になっていることが問題なのである。

 

パクリ、コピーは非常に魅力的でプライドの無い人間はつい流されがちになる。

 

自分で考える必要が無く、かつ価値のあるものが短時間で自分のものになるからだ。

 

バイトやコピーが嫌われる原因がそこにある。

 

自分で考えたくないという怠惰、すぐに真似をしてしまう気概の無さ、そして自分というオリジナルの可能性を排除してしまうプライドの無さ、そうしたものがコピーやバイトをすることによって透けて見えてしまいbboyがbboyたる由縁を自ら冒涜しているからである。

bboyとしての精神性を疑われるような行いであるがゆえに蔑まれる対象となるのである。

 

ネクストステップへの足がかりとしてコピーをするならば、それは練習だけに留め本番では絶対に使わないことだ。

 

そうすることでbboyとしての品格は保たれる。

 

だが、誘惑に負けコピーをし始めたらもう止まらないだろう。

 

いずれファッションbboyという不名誉な烙印を押されることになる。

 

 

と言うのは判断基準が明確に定まってない以上言い過ぎかもしれないが、1つ自分のストッパーとして常に頭の片隅に置いておくことはbboyでい続けるために重要かつ有効なことかもしれない。