老害が最近のbboyには個性が無いと言い出す理由

更新頻度が落ちに落ち、こんなブログを見に来てる人がいるとも思えませんがとりあえず表題のとおり、つらつら述べていきます。

 

30~50代のbboyにありがちな

「最近のbboyは上手いけど個性が無い」説を考察してみます。

 

この辺の世代は黎明期を経てまだまだ未熟な過渡期経験世代です。

 

あらゆるジャンルでもそうなんですが、黎明期~過渡期あたりってそもそも競技人口自体が少ないが故にシンボリックに見えてしまうし実際そうなんですよね。

 

これは否定しようがありません。

 

先行者利益そのものですから、然るべき努力の末オリジネーターインフルエンサーとして認知されている以上、存分に享受するべきです。

 

で、問題になるのはこのへんの世代自体とそれを見てきた世代の価値観ですね。

 

自分達が現役でやってた時より明らかにレベルが違うことをみんな当たり前のようにやってるわけですね。

 

これはもうおもしろくありません。おもしろいわけがない。

 

自分達が暗中模索の中、試行錯誤を繰り返した末に手に入れたスキルが今や誰でもできる。

なんなら時代遅れのしょっぱいスキルに降格してさえいたりします。

 

コロンブスの卵よろしく、後進がやりやすくなるのは当たり前でこれはしょうがないことですし、数値化することはできませんが、実際のところ各世代が費やした努力の総量自体はあまり変わらないと思います。

 

0⇒1と1⇒100の努力の総量を等価であると仮定することにはさほど違和感は無いと思います。

 

例えば、そもそもウインドミルを開発すること自体とウインドミルを錬磨することには大きな隔たりがあります。

 

できるかわからないことを模索することはギャンブルそのものであり、費やした労力がすべて水泡に帰すことも珍しくありません。

 

翻って、既にできるとされているものを錬磨、アレンジすることはオリジナル発掘と比較すればまだ易しいと言えます。

 

ゴールが見えない状態とゴールが見えている状態を比較するとわかりやすいかもしれません。

 

重ねて、これはもうあらゆるジャンルで発生していることなので人間の性としか言いようがありませんが、酸っぱい葡萄の論理そのものです。

 

最近のbboyは個性が無いと言っているbboy自身は個性があるのか、というブーメランや、そもそも競技人口自体に差異が生じているため、当時確認できていた人数と同比率で現在もbboyを確認できているのか等々、物理的に無理な面も手伝いどうしても個人の小さな主観のみで繰り出されることになります。

 

現時点においてあらゆるbboyを網羅しようとすると、もう四六時中bboy動画を見続けないといけません。

ある一定以上の質量をこなした上での判断なのか、それとも限られた母数の中から感じたものかで言葉の意味は全く異なります。

 

また、当時個性があると思っていたbboyはおそらく世界トップレベルのbboy達になるかと思います。

現代のようにyoutubeで名も無いbboyの動画を気軽に見られる時代ではありません。

そんな無名のbboy達が動画を世界中に頒布することはコストや流通含め色んな意味で厳しい時代です。

それであれば比較対象は常に世界トップレベルのbboyでなければ道理に合いません。

 

それであれば、現代においてもトップ層はオリジナリティの塊ばかりです。

 

つまりは、下層~中間層を見て「最近のbboyは個性が無い」と言っている可能性が高く、そもそもどの世代でも下層~中間層はトップ層のフォロワー(パクリ)であるのが常であり、「でしょうね。」という返答しかできないわけです。

 

比較対象を間違えていることを認知できていないために、老害は個性云々をほざいてしまうわけです。

 

世界中のあらゆるイベントの下層~中間層を見た上で言っているのか、限られた極一部を母数として固定化された価値観から言っているのか、という問題であり、そうなるともう個性云々は短時間に大量処理できるAIあたりで機械的に判断するしか、客観的に判断できなくなるわけでなんだか身も蓋も無いなぁとw

 

老害が「最近のbboyは上手いけど個性がない」に対しては「いや?そんなことないっすよ?(何言ってんだこいつ?)」といくらでも反論できてしまうというお話でした。