商業化されていない若者文化であるbboyingはどこに向かうのか

bboy

 

一般層が聞けば厨二病を連想させるような死語にも等しく、ありていに言えば揶揄される代表語録の1つでもある。

 

90年代のbboyファッションブームは黒歴史として君臨し、今や完全に時代遅れのダサイアイコンの1つでもある。

 

bboyと聞いて連想するものと言えば

 

厨二病

腰パン

newera

ダボダボ

黒人

yoyo言ってるデブラッパー

 

このへんだろうか。

 

ブレイクダンスをやっている人、とはならない。

 

今やテンプレコテコテbboyファッションに身を包む御仁はなかなかお目にかかれないし、いたとしてもこんなイメージであるからこそ若気の至りということで中学生までが限界だろう。

 

大の大人がテンプレbboyファッションで街を練り歩いたなら痛いを通り越して直視しがたいものがある。

 

その思想から何から若者文化でありヤング世代が牽引するものである。

 

しかし時を重ねた現在においては老若男女、あらゆる世代において楽しまれている点において歪みが生じているのも事実だ。

 

人体の極限を模索するハードな身体表現

 

勝つか負けるか、というグレーが存在しない実力主義

 

そこに狡猾さや妙な処世術が絡む余地はない。

 

本質的に政治的な動きや狡猾さを嫌う傾向にありひどくピュアである。

 

そうであるがゆえにまったく浸透しない現状がある。

 

ただ近年においてはそうした潮流を改める動きもあり、一過性のブームに終わらせないという姿勢が伺える。

 

が、そうなると本質を失う危険性をも孕み、主導する者達だけが利する構造の確立を看過することにもなりかねない。

 

HIPHOPはプライドの文化でもあり、下手な奴はゴミ扱い、門前払いの世界である。

 

それを門戸を広く開放し、誰でもウェルカム、ニコニコ笑顔でサービス精神満点なんてやってしまえば生活のために魂を売ったと捉えられてもしょうがない。

 

ダンスを生活の基盤と捉えた時点でアートとしての本質を失いかねない。

 

今後、増加するbboy人口と比例して中高年層における人口も増加することは想像に難くない。

 

酸っぱい葡萄で貶めることしか能がない老害にならなければいいが。