なぜbboy畑からトップクラスの芸能人は生まれないのか

bboy畑からの芸能人で、bboyを売りにしている(いた?)芸能人で真っ先に思いつくのはナインティナインの岡村氏であろう。

 

他には俳優の佐藤健氏、ガレッジセールのゴリ氏やAV男優のしみけん氏が挙げられるが現在も継続してbboyとして活動している一線級の芸能人は存在せず、また挙げさせていただいた方々がbboyである、ということを知る世代も時が経つにつれ徐々に減っているのが現状であり隔世の感を禁じ得ない。

 

気が付かれている方も多いとは思うが、上記の方々はいずれも本業がある上でbboyもできる、あるいはできた、ということであり、本業がbboyであるわけではない。

 

そうなると、bboyを本業としつつ芸能活動を成功させている者というのは今までいない、ということになる。

 

混じりっけ無しのbboyingのみのグループというのも現時点では聞いたことがない。

 

パニクルーやRABも厳密にはbboyingのみではないため条件には当てはまらず一過性の感が強すぎた。 

 

bboyに限らず、ニッチな分野はことごとく一発芸としてコーナーの1枠を埋めるための存在に過ぎないと認知されている。

 

bboyにまだ救いがあるのは音楽性を有している点であろうか。

 

音楽性から乖離していればいるほどニッチ濃度が高まり市場から相手にされなくなる。

 

芸能活動の方がまだ目があるような気もするが、今のところはスポーツとしての分野開拓に注力しているのが現状なのか、あるいは芸能活動自体が歴史的に否定され続けてきたからこそのスポーツ路線なのか。

 

実は現在はbboyにとって非常にセンシティブな状況なのかもしれない。

 

社会的なカテゴライズが曖昧すぎるのである。

 

スポーツとしてオリンピックの方に向かえばbboyの本質を損なうのではないか、そもそもスポーツなのか、という危惧と疑問。

芸能活動においてはジャンル、ファン層や肉体的に恒常的に活動し続けることが困難であること。

そして、日常においては道でたむろしているようにしか見えない底辺チックな雰囲気。

 

HIPHOPとして包括的にジャンルレスに活動できる時代ではなく、ラップはラップ、DJはDJ、bboyはbboy、といった塩梅であり、これは衰退ではなくある種シーンの成熟によるものではあるのだが、hiphop、bboyとしての本質を維持したままで活路を見出すとするならばやはり総合的なhiphopとしての見せ方になっていくのか、というところではあるのだが、そうなるとやはりラップに喰われることになり、bboyとしてのアイデンティティを芸能的に確立できず終わってしまうことになる。

 

また、そもそもが曲のbreaktimeで踊り始めたことに端を発しバトルという文化があるジャンルなだけにあまり長い時間踊ることを良しとされず、感覚的にも瞬間のアートの向きが強いと考えている。

世界的なbboyブームを巻き起こしたフラッシュダンスの一幕ではあるが、あのシーン自体も1分ほどの極短い時間であり、クレイジーレッグス等bboy各々のムーブ自体はそれぞれ10秒にも満たない。

にも関わらず、世界中に衝撃を与えることに成功したのである。

この一点においてbboyに瞬間の美学が根付いたことには異論はないだろう。

また肉体的にも無理があり、現代の高難度で長時間踊れるのはワールドクラスの化物だけである。

状況次第ではあるが、長く踊ることを蛇足とみなし、またそもそも長く踊れない、という点においてちょうどうまく天秤が釣り合っている、とも捉えることができる。

bboyは退屈な引き伸ばしより一瞬のフレッシュを求めている。

 

しかし、こうした点が商業的にパッケージングすることの足枷となっている。

ある程度の時間を価値として提供しなければならないなかで、長時間踊れない、bboyにしかわからないつまらないルーティン、よくわからない音楽、似たようなフロアームーブ、何回も見ていると飽きがくるパワームーブ、等々、、、

 

とりとめもなくなってきたのでひとまずこのへんで。