bboyのジャッジシステムはいまだ未完成のままであり、これは身体表現を評価することが根本的に不可能であることと密接にリンクしていきます。
評価が簡単に覆ってしまう危険性が他の種目もよりも高い点。
そもそもジャッジとしての資質が欠如しており、論理を理解していない者がジャッジをしている点。
全てを飲み込む広範性により単純な数値化が困難である点。
買収の危険性が存在する点。
身内贔屓を排除できず公平性の担保が不可である点。
評価項目が存在していたとしても評価単体の数値化はジャッジの主観であり、実質的には評価項目の設定が形骸化している点。
挙げ始めるとキリが無いのですが、こうした矛盾を自覚しながらも評価を推し進めていかなければいけないため、実質的に歪みがあるにも関わらずそうと意識されることは少ないのかもしれません。
あのジャッジはこういう傾向にある、という認識が他種目と比較し顕著な時点で健全ではありません。
あのジャッジなら優勝できるがこのジャッジだと予選落ちだ、ということがまかり通るのが現状です。
認知バイアスもかかりやすく有名だから勝ち、ということも往々にして発生しています。
そこには忖度も付加されており、ちょっとした接待状態です。
また、そもそも現代の動きを理解していないベテランがジャッジに入ることも問題であり、これは踊れてナンボ、えげつなくてナンボの世界であるからこそのパラドックスであり、見るのとやるのは大違いが大原則としてあらからこそゆえと考えています。
しかし、こうした思考はまたbboyの批評文化の妨げでもあり、できなかったら批評も批判もしちゃだめなのか、といういつまで経っても日の目を見ない閉塞性を深めてしまう結果にもなりかねません。
電光石火のスピード
尋常ならざる筋力
驚異的な柔軟性
驚天動地のクリエイティブ性
アーティスティクな音楽性
全てを保有しているならばまだしも、必ずいずれかの要素に偏向せざるをえない中で公平なジャッジというのはほぼ不可能というのが現状であり、今後もこの問題が解決されることは無いでしょう。