人はいずれ老いる
そして老害と化す
身体的にも精神的にも
かつて存在した姥捨山がそれを象徴する
下の世代からすると鬱陶しくてしょうがなく
そのくせ利がない厄介な存在
しかし全員が全員老害になるわけではない
クリティカルな知識を有し、それを伝承する利あるベテランもいる
昔の方がかっこいいbboyが多かったやら特徴があるbboyが多かったやら昔はやばかったやらの話を悦に入ってご高説してしまうようなbboyは明らかに老害認定まっしぐらでありもはやフレッシュでもなくbboyとしては死んでいる。
こうした話はbboy界に限らず全てのベテランに言えることであり、もうこれは人間の精神構造上覆すことが非常に困難なことである。
人は真似ることでしか成長することができない。
そして真似るということは、対象に殊更のリスペクトや感動があったからである。
自らが嫌悪感を抱く行為を真似ることはほぼありえない。
つまり、自らがリスペクトし真似をしてきた行為は自分を構成するものであり、自分自身でもあり、アイデンティティそのものなのである。
当然、多かれ少なかれ人が持ちうる自尊心から自らのアイデンティティを貶めることなどしようはずもない。
自己の否定であるからであり、そんなことは容認できない。
だからこその懐古なのである。
懐古とはつまり保身であり、これこそが成長を鈍化させ停止させ、遂にはいつまで経っても同じようなことばかりするようなbboyを量産してしまう諸悪の根源でもある。
なぜか。
時代は進み、技術も進む。
身体能力だけではない革新的な動きも誕生する。
しかし旬の過ぎたbboyはそれすらもできなくなる。
人にはキャパがある。
自身を構成する要素のみで一杯一杯でもはや洪水のように押し寄せる技術を吸収する余白が無いのだ。
ある意味、種として固定化される現象が起きる。
始めて数年は流動的だったスタイルもいつしか「自己のスタイル」として確立してしまう。
つまり自分の得意なこと以外やらなくなってしまうのである。
ダンスにおいて自らのスタイルの構築は非常に重要ではあるが、その弊害として本来成しえたであろう多岐にわたる可能性を捨ててしまう自縄自縛の観念とも言える。
さて、ブルーオーシャンであったキッズ、ガールの領域は既にレッドオーシャンであることは以前に述べた。
そうなると残されている領域は1つである。
ベテラン、いやそれすらも越えたオールドマン達である。
bboy界においてベテランという言葉は称賛されるべきものではない。
もう身体が動かなくなってきてムーブも同じようなことしかしないんでしょ?という暗喩でもある。
そうした今までの既成概念を打ち破る、バトルで勝てる真にベテランと言われる領域こそがこれからの狙い目になるのではないだろうか。
正直な話、バトルで勝てもしないのにジャッジやレッスンばかりでふんぞり返ってても誰もリスペクトしない。