ストリートダンスが誕生してからというもの、今現在日本発のジャンルというのは存在しない。
(筆者の不勉強なだけで誕生しているのかもしれないが聞いたことがないし、広がりを見せていることも認識はしていない。)
オールドスクール、ミドルスクール、ニュースクール。
オールドスクールに関してはただただ右へ倣えしていた時期であり、日本人がその生誕について関与する隙間は一切無かったと思われる。
ミドルスクール、ニュースクールに関しても輸入を待っていただけに留まり、その誕生に関与していたとは考えづらい。
今のところ日本は与えられた枠組みの中でいかに切磋琢磨するか、というステージにいる。
日本のダンススキルは非常に高い。
だが、これは常々言われることでありステレオタイプ的なため個人的には好まない考え方だが日本人は0から創造することが苦手であり、既存の技術を高めることに長けている、という観念にダンスジャンルすらも合致してしまっている。
なぜ日本から新しいストリートダンスのジャンルが誕生しないのか。
これは実は明白である。
ニュージャンルが発生するための条件を考えるとわかりやすい。
新しいジャンルの音楽の発生が必要不可欠だからだ。
新しいリズムはそれにふさわしい体の動かし方を自然発生的に付与する。
いや、俺はどんなリズムでも同じような動き方で踊れるよ、という方は価値の平行線を辿るだけで時間の浪費となりますのでもうこれ以上読まなくても結構です。
話を続けると、踊るにふさわしいリズムを備えた音楽ジャンルが先に産声をあげていなければならない、ということであり元をただすと日本発のダンスミュージックが存在していない、ということに他ならない。
無理矢理新しいダンスジャンルを生みだすことはできるかもしれない。
しかしそれにふさわしい音楽が無いならばそのダンスには何の意味もない。
それこそサイリウムダンスやオタ芸と言われる動きはニュージャンルではあるが、これはストリートダンスの流れを汲んでおらず、まったく別種のものでありこれをストリートダンスと容認することはできないし、その動きの特異性や文化的な発生要因からルーティン性に特化したものとして硬直化していく可能性が高い。
ストリートダンスには拡張性と発展性が必要不可欠である。
そしてまたストリートダンスには拡張性と発展性が存在する。
それはすべてはリズムでありビートから来るものである。
オリジナルや個性を追求するとルーティン至上主義となりリズムやビートから乖離していくことは周知の事実ではあるが、これは「人と違うこと」に重点を置きすぎたが故の弊害であり、逆を返すと人と違うことをしなければいけないほどそのジャンルが成熟していることの証明に他ならない。
(だからと言ってリズムやビートが無視されるほどの動きが許容されるか、は別問題である。)
さて、日本でなぜ新しいダンスジャンルが誕生しないか、という話に戻る。
これは単純明快であり、日本のダンスミュージック界において世界初のニュージャンルが誕生する必要がある。
そうなると、先の日本人のステレオタイプの話に帰結し、結局は日本から新しいストリートダンスのジャンルが誕生する可能性は非常に低い、という結論に至ってしまう。
しかし、その音楽にマッチしている動きであれば良い、という観点から考えるならば既存の音楽ジャンルから新しいダンスジャンルが発生する可能性も考えられる、というところに日本初のダンスジャンル誕生の鍵があるのではないか。
またニュースクールの段階からストリートダンスは停止しており、あまりにも長いニュースクール期間を打ち破るような革命が起こることを期待している。