誰もが主役で誰もが脇役である

bboyとしての自分の価値とは常に流動的である。

 

bboyとしての自らの価値基準は、大きく二分されることになる。

 

①bboyシーンの中での自分

 

②bboyシーン以外での自分

 

日進月歩でしのぎを削り合うシビアな世界の中でどういった立ち位置を得ることができるのかは、非常に大きな関心事の1つだ。

人生と同じくbboy界も椅子取りゲームであり、努力を怠ればあっという間に凋落する。

上を目指せば目指すほど自分の価値が希薄となる一方で、下さえ見ていれば常にスポットライトを浴び続けることができる。

 

うだつの上がらない普通のbboyも、初心者しかいない環境であれば神扱いだ。

 

生涯bboyでいることは容易ではない。

 

衰えゆく自身と比べ、これから芽吹いていく若い才能達は自身が越えられ無かった壁をいともあっさりと越えていく。

 

過去の栄光や自身のキャリアの長さにしがみついたところで、リアルタイムでかまさなきゃそんなの何の意味もない。

態度や口ばっかり達者になって肝心のダンススキルは、、、。

 

あるいは周囲の野次には耳を貸さず、自らのスタイルを至高と捉え続ける胆力さえあればbboyとしての自分のプライドは保たれる。

周囲と比較せず自分は自分であると信じ切る力。

まぁ周囲と比較しないというのは、精神的な病に冒されていない限りかなり難しいが、、、。

 

とにもかくにもbboyシーンの中における自らの価値というのは環境、あるいは自らの価値基準によって大きく左右される。

 

翻って、bboyシーン以外における自分の価値とは。

 

学校、会社、などなど自分が所属するありとあらゆるコミュニティの中で、bboyとしての自分はどういった価値を持つのか。

 

学校であれば、諸々のイベントでスポットライトを浴びることができるし、会社であれば余興や暇つぶしのネタ程度には取り扱ってもらえるだろう。

 

基本的にはbboyingを披露する場が極端に少ないため、ブレイクダンスの人、くらいの認識で終わるだろう。

 

それを自らのアイデンティティとして誇りうるものなのかは各人の価値観次第なのでなんとも言えないところではあるが、比較的にbboyシーンを離れた時ほど、自らがbboyである、ということを強く意識し、また価値を感じる向きがあるのではないだろうか。

 

単純にプレイヤーがまだ少ないこともあるが、bboyシーンにいる時よりも他者との差別化や価値の認識が容易である。

自らが感じている価値量と、第三者が考えている価値量とはかなり相違がある可能性があり、ただ勘違いしている可能性も大いにありうるが。

 

誰もがbboyとしての自分には価値があると思いたい、というのが本心である。

 

それであれば、あえて低みに移するもbboyを継続するための手段として合理的であるのではないか。

 

あいつは成長が止まった、いやむしろ下手になっている、と後ろ指を差されることもあるかもしれない。

 

しかし、bboyingを「気持ち良く」続けること、を主眼に置くならばそれはそれでアリなのではないか。