ダンスにのめり込むことの代償

 人生を過ごす中で、大部分の人間はなるべく後ろ指を差されないような生き方を選択していきます。

 それは様々な経験を経る中で、そうした生き方が最も楽で精神的にも安定し、詰まる所、生存に適していることを学習するからです。

 人生は生存競争に生き抜くだけでは満たされません。

 財力、地位、名誉、他人からの称賛、精神的な充足、優越感、、、あればあるだけ人生は満たされていきますし、満たされた次の瞬間にはまた新たな渇きを感じ次から次へと欲望は押し留まることを知りません。

 

 ダンスに重心を強く置く者は、人生において最低限の必要な物すら持つことが困難な、いわゆる底辺、持たざる者に分類されることが多いです。

 一般社会で、今まで培ったダンススキルを活かすことはほぼできません。町興しや地域振興という大義名分を掲げたところで、結局満足するのはダンサーのみで、地域の住民は特に何とも思っていません。ただただ繰り返される日々の中で通り過ぎる取るに足らない事象の1つという認識しかありません。こうしたボランティアじみた行動は、主催者やダンサーの一時的な虚栄心を満足させるだけの徒労に終わることが往々にしてあり、やっている本人達ですらやってもやらなくても同じ、ということを薄々自覚している節もあります。時間と労力を無駄にしており、圧倒的なコストパフォーマンスの低さです。

 ダンサーはとにかく金が無い、時間が無い、人脈が無い、の無い無い尽くしのテンプレートのような存在です。

 やらないといけないことから逃げ続け、薄給のバイトをこなしながら、ダンス仲間と練習しかしていませんから当然ではありますが、ダンス以外何も残らなくなります。

 逃げ続けると逃げ癖が付きますし、逃げ癖が付いている人からはチャンスも逃げていきます。ある意味、負のバリアーを張ったような状況で、つるむ人間も環境も変わらないため思考は硬直化の一途を辿り一般常識からかけ離れた人間が出来上がります。

 

 そうした状況ですから、人生の難所を乗り越え、やることをやってきた人間達とは通常交わることがありません。

 社会人になってからダンサーと関わることが無いので、ダンサーのリアルがまったくわからず理解の示しようもなく、通り一遍のネガティブなイメージでしか捉えることができないこともダンサーへの理解がまったく浸透しないことの一因でもあるでしょう。

 仮に関わったところでネガティブなイメージが増幅するだけなのでそれも善し悪しではありますが、、、

 

 学生は好成績を残し偏差値の高い大学に行けば、いくらダンスをしようが何も言われませんし、社会人も仕事がデキるならば同様に何も言われないでしょう。

 

 自分に何も無いがゆえに、欲望の代替行為としてダンスにのめりこみすぎてしまう人達がいる、ということはあまり語られないことですが事実として存在します。

 

 自身のアイデンティティを確立するために始めたものが、本末転倒しいつしか自分自身を破壊することのないように、、、