ぬるい環境にいるとフリーズがおろそかになる

フリーズについて。

 

多種多様な価値観が混在し、さらに多様化が広がりを見せる中で一概にこれをしないといけないという括りを断言しづらくなっている現状ではありますが、bboyingの構成要件にフリーズがある以上、やはり無いよりはある、止まらないよりは止まる、ハメれてないよりはハメる、かつオリジナリティがあれば文句の付けようがないんじゃないでしょうか。

 

ぶっちゃけフリーズが無くても気にしない層もいたりしますが、やはりバトルで優劣を決する際に重要なファクターとなっていることは厳然たる事実として存在しているわけで。

 

体操の着地と同じような感覚で捉えてもいいのかなと。

 

向上心も失せて勝敗そっちのけの遊びでやってるなら別に着地しようがしまいが、クラッシュしようがしまいがどうでもいいことではありますが、身体表現である以上採点至上主義からは逃れられないわけで、勝つためには決めないといけません。

 

まぁフリーズがすべてではありませんが、内容が僅差であればセットの完成度が高い方に手が上がるのは自明の理であり、当然磨き上げておくべきスキルです。

 

ただ、フリーズを重要視しないコミュティにいると、そもそもフリーズをしない、しても止まらない、クラッシュする、ありきたりなフリーズ、ありきたりな入り方、音を聞いてない、等々言いだすとキリが無いほどフリーズへの意識が低かったりします。

 

単純にフリーズの練習もきついから、ということに尽きるかと思います。

 

高強度の無酸素運動を行った後に、強度の高い姿勢保持を要求されます。

 

この点、難易度の話は別にしても、足で着地する体操とは真逆ですね。

 

いずれにしても、200m全力ダッシュした後に1分間倒立し続けるようなイメージでしょうか。

 

無酸素運動により精も根も尽き果てている状態からもう一絞りしないといけません。

 

えげつないほどきつい練習なので、ぬるい環境にいると楽な方楽な方へと流されていき、結果勝てない、あるいは決めが甘いBBOYとなってしまいます。

 

環境というのは恐ろしいもので、どれだけ鋼のように硬い意志をもってしもてそれを懐柔し破壊する力を持っています。

 

ぬるい環境しかないがそれでも上を目指したいと考えているBBOYは、最悪一人で練習した方が効率的なのではないかと思います。

 

 

ロングムーブの是非を問う

しばしば話題になるムーブ時間

 

そもそもロングムーブ自体が困難なジャンルであるが故にロングムーブを売りにしているBBOYに疑問符が投げかけられることがままあります。

 

高難度のパワームーブやスキルを絡めたロングムーブには尋常ならざる体力的消耗、筋疲労が伴うため評価に値すると考えることができますが、それがスタイルのみとなると毛色が異なり、無駄な時間稼ぎ、あるいは自己満オナニーと捉えられる向きがあります。

クリエイティビティが伴っていればともかく、ベーシックやありきたりなムーブでロングムーブをされると「さっさと終われよ、、、」感が半端ありません。

 

個人的には、濃密なショートムーブで十分、いやむしろショートムーブにこそBBOYの真髄があるのではないかという思いがあります。

 

一部の化物じみたBBOYを除外し、ロングムーブをすること自体が体力消費・筋疲労が少ない証拠であり大したことをしていない証明でもあるからです。

 

ロングムーブをすることのメリットは、バトルにおいて勝敗を決する要素として絡んでくることでしょうか。

 

同じようなレベル同士であればロングムーブをした方が有利になります。

 

正直な話、ロングムーブする余裕があるなら一発目が覚めるようなムーブをかましてほしいところですね。

 

戦略の1つであるとは言え、ガチンコのぶつかり合いの中で姑息な手段の1つではないかと。

なぜDJやラップに逃げるのか

資本主義も真っ青の超実力主義のbboy界

 

ある程度年齢を重ねてくるともうしんどいということでDJ・ラップ・グラフィティに移行する人がままいます。

 

bboyを全うするだけでもいくら時間があっても足りないというのにそんなことしてる暇あるんですかと。

 

HIPHOPという括りだからいっしょ!というノリなのかもしれませんが、はっきり言ってここまで専業化が進んでいる現代であれもこれもの二足の草鞋は無理です。

 

DJでやっていくと覚悟を決めた者

 

ラップでやっていくと覚悟を決めた者

 

グラフィティでやっていくと覚悟を決めた者

 

それぞれの専業には絶対に勝つことはできません。

 

無理です。

 

なんとなくHIPHOPの世界に籍を置いておきたいから、という安直な理由で転向する人の多いこと多いこと、、、。

 

結果まったくディグりもせず安易に流行りに乗っただけのDJが量産され、クソみたいなリリックを繰り出すゴミラッパーが誕生したりします。

 

商業ベースに乗せ、それで食べていこうとしている人間には絶対に勝つことはできませんし、趣味レベルでも真剣に取り組んでいる人間にも勝つことはできません。

 

創成期ならまだしもここまで各ジャンルが専門性を有している状態でははっきり言ってニワカ以外の何物でもありません。

 

あんた結局何したいの?ってとこですね。

BBOYINGの魅力とは「暴力性」にあり

BBOYINGが廃れずに、いついかなる時代も人を魅了し続けここまで発展を遂げた理由とはなんでしょうか。

 

おそらく「暴力性」にあるのでは、と考えています。

 

何言ってんだこいつ、と思った方はそっとページを閉じてください、、、w

 

ギャングの抗争の代替手段(本当かどうか疑わしいですが、、、)としてのバトルカルチャーは、そのまま「暴力」の代替手段であり、それはつまりbboyと暴力は密接な関係にあるということだと理解しています。

 

show主体のジャンルではありませんし、そもそもアートの方向に振れすぎるとbboyの本質からズレてしまいます。

 

極限まで肉体を酷使し、あらゆる人体表現の中で最もダイナミックなパワームーブ。

一切の器具やトリックを使用せず、人体のみでここまで強烈な表現をし得るのはパワームーブ以外に無いと考えています。

一般人がブレイクダンスと聞いて連想するのはもちろんウインドミルなことは言わずもがなですが、おそらく大多数のbboyの入り口でもあります。

ブレイクダンスをやっていれば、「踊ってよ」よりも「回ってよ」と聞かれることの方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

実は回転も暴力性を帯びています。

例えば回っている扇風機やドリルに触れようと思う人はいません。

なぜならば「破壊」され怪我をするからですね。

怪我をする、と警戒するのはそこに暴力性があるからに他ならないわけで、回転運動が非常に危険な現象であることを理解しているからです。

回転することによりパワーは倍加以上となり、ドラクエでいうとこのバイキルト状態になるわけです。

 

現時点で最も暴力的なbboyはpocketであると考えています。

その芸術性もさることながら圧倒的なスピードによる暴力性が優っており、もはや他者にいかなる暴力行為を働いていないにも関わらず明らかな暴力性を見て取ることができます。

 

bboyが宿す暴力性。

 

これはハードなムーブにより自己の肉体が破壊されていることからもわかるように、実は自らに向けられている暴力性がムーブという鏡で跳ね返り見る者に暴力性として転化・視覚化されているのではないかと。

 

極限を求めるbboyのムーブは自傷行為すれすれのものであり、ともすればそれは跳ね返り他者へ訴えかける魅力的な暴力性を発露しているのでは、と考えても差支えない。

かもしれないw

生のダンスを見に来ないとだめだ、という現場主義から導かれるある衝撃の事実

どの分野でもそうですが、現場主義を声高に叫ぶ層というのはいつでも一定数存在します。

 

とにかく現場に来て、雰囲気、迫力、エナジーを感じろ!ということですね。

 

まぁこれは一理ありですね。

 

いつでも快適な環境が用意されているわけではなく、劣悪なフロアーであったり、オーディエンスが存在することによる心理的圧迫、想像以上の音圧、気温や酸素濃度も異なり練習以上に消耗することなどとにかく多くの現場を経験することでモチベーション含め大きな経験値になるということです。

 

環境を含めた全ての要素を感じること。

 

そして何より生のダンスが発するエナジーを感じること。

 

とにかくダンスは生で見ることが一番という点については大方賛同するのではないでしょうか。

 

YoutubeでもなくDVDでもなく、ダンスの一番美味しい部分というのは直接目の前で見ることでしか味わえません。

その場所、その瞬間でしか得ることができないバイブスを感じるということです。

 

で、現場主義や生ダンスが仮に至上であるとすると、実はある問題点が発生します。

 

自分のダンスを生で見ることが不可能であり、永遠に自分の最高の状態を感じることができないという事実です。

 

何当たり前のこと言ってんだ~別に動画で見ればいーやん、となりそうですが先に述べた現場主義・生ダンスという観念がある以上、これは意外と切ない事実であったりします。

 

だからこそ、自覚していない一面や自分が感じている以上の評価を得たり、またその逆もあるわけです。

 

実際のリアルタイムな現場で自分は一体どんなバイブスを発しているのかを第三者目線で感じることができず、常に主観であるわけです。

 

例えば、ウインドミルをしている最中に、リアルタイムで俯瞰して自分のウインドミルを見ることができないが故に、生の自分のウインドミルが持つ実際の価値を正確に知ることができないということです。

 

まぁだからどーしたと言われればそれまでですが、これはどうにも解決することのできない深層的問題でもあり、価値を追い求めれば追い求めるほどに自分の本当の価値を知ることができないという矛盾をはらんでいたりするわけですね。

BBOYINGは人体との究極の対話である

機械の力なしでは日常生活もおぼつかない現代において

 

究極的にアナログで人体の神秘を突き詰めるような行為を日々研鑽している

 

人は思い描いたことを実現できる、ということを知る

 

血の滲むような鍛錬を重ねた者だけが齧ることのできる甘い果実

 

不可能を可能にする

 

身体表現の限界とはなんなのか

 

人体は一体どこまでの表現に耐えうるものなのか

 

BBOYINGは他に類を見ないほどに身体表現に対してストイックだ

 

BBOYだけがそれを知っている

 

道行く人はそれを知らない

 

BBOYINGがどれほど自由なのか

ブレイクダンスは何度も死んでいる

BBOYは、映画「フラッシュダンス」中のたった1シーンで世界中に衝撃を与えた。

 

しかし、一過性のブームとして扱われ一度死ぬことになる。

 

その後、ヨーロッパでは水面下で着々と進化を遂げており再興を果たすことになる。

 

BBOYは常にアンダーグラウンドとオーバーグラウンドを行き来している。

 

メディアで取り扱われる度に話題となることはあれど、継続した価値を与えられるまでに至らず尻すぼみで終わることがほとんどだ。

 

世間的にはブレイクダンスは何度も死んでいる。

 

プレイヤー、あるいは常にシーンの動向をチェックしている者以外は今現在ブレイクダンスがどういった状況にあるのかを理解しておらず、また理解する気もないしそもそも興味もない。

 

日々の生活における暇つぶしの1つに過ぎない。

 

経済に及ぼす影響力もさしたるものではないと予想できる。

 

BBOYのスポンサーになったところで、購買層はBBOYに限定される。

 

マス層がBBOYを見てどれだけ影響されるだろうか。

 

踊りもしないマス層はBBOYのギアには興味が無い。

 

BBOYがスーパースターを履こうがスウェードを履こうがどうでもよく、メディアやインフルエンサーが煽って初めて興味を持つに過ぎない。

 

ある意味でブレイクダンスは今も死んでおり、アンダーグラウンドのままである。

 

シーンは拡大しプレイヤーは増加している。

 

それでも社会に何も影響を及ぼさない。

 

しかし、それでいいのかもしれない。

 

アンダーグラウンドという環境でしかBBOYは生きられない。

 

それが本来の姿なのかもしれない。

 

あえてオーバーグラウンドに躍り出そうとするからこそ無理が生じるのではないか。