最速でブレイクダンスが上手くなる方法

①溢れるほどに公開されているメソッドを取捨選択し、原理を知ること。

 

②家に練習スペースを設けること。

 

③怪我を避けるためにマット等を使用すること。

 

④柔軟運動を欠かさないこと。

 

⑤自重トレーニングを欠かさないこと。

 

⑥動画サイトを用い、あらゆる動きを練習すること。

 

⑦以上すべてにおいて正しいメソッドで行うこと。

道路で撮影するbboy

本当に止めた方が良い。

 

自分たちは「かっけー!!」とか「周りに見られてテンション上がるわ~」とかなってるかもしれないけど、第三者から見るとタダのルール違反の迷惑行為で「やっぱダンスやってる奴らってこの程度なんだな」と思われるのがオチで、、、。

大人としてモラルを問われる行為。

子供が道路で遊んでたら危ないから注意するのと同じで、分別の付く大人がするそれはメンタリティを含むと子供以下なわけで、、、。

 

道路の使用許可を取って正規に撮影してるならしっかりとそれも明記すべき。

 

これだけ動画が引きも切らず毎日アップロードされている時代に、アウトローとかアンダーグラウンドやらの大義名分はもう通用しないし、あえてそれをするならば日の目を見ようと活動している人達に弓を引く行為として敵対することを十分理解してなければいけない。

ダンサーは金にならない。ブレイクダンサーはもっと金にならない。

とにかくダンサーは金にならない。

 

ブレイクダンサーはさらに金にならない。

 

金にならないから虚業に身を落とす者もいる。

 

ダンスに時間を割けば割くほど、優先事項が後回しになり、先細り、人生に窮することになる。

 

 

ダンスの上手さと時間配分はそのまま比例関係にあり、上手くなろうとすれば睡眠時間を削ってでも練習する必要がある。

 

睡眠を削って練習するくらいなので、ダンス以外のことは二の次、三の次だ。

 

しかし、ダンス以外を全て諦めて邁進した先に何があるのか。

 

ブレイクダンスに限った話で言えば、歳を重ねれば重ねるほど劣化の一途を辿る。

 

20代も後半に差し掛かれば現状維持が出来ていればいい方で、基本的には劣化していくのみだ。

身体、モチベーション、時間、社会的責任等から、革新的な進歩はもう望めない。

さらに言ってしまえば、もう自分のスタイルを変えることができない。

温ま湯に脳味噌が慣れきってしまい、自分の出来る範疇での小さな足踏みのみだ。

 

「これが俺のスタイルだ」

 

という言葉は、bboyのポリシーでもありながら、免罪符にもなりうるマジックワードで、耳触りも良く、自分が傷つかないように、自分や周囲を騙すにはもってこいだ。

 

イノベーションやオリジナルを求め現在進行形で進化しているbboyにとってみれば信念であり、進歩せず惰性で毎度同じようなことの繰り返しでマンネリ劣化しているbboyにとってみれば開き直りである。

 

生涯bboyを掲げていたとして、40になった頃には、ピーク時のキレも無く、青春時代に流行っていた古臭いスタイルを披露するのが関の山だろう。

日進月歩でエスカレートしていくフィジカル重視のbboyの世界では、加齢による円熟味、というのはなかなか実現しづらい。

リップサービスで円熟味をほのめかされるかもしれないが、額面通り受け取るバカもいないだろう。

 

プレイヤーとしてbboyを続けることが困難になっていき、金にならない現実がある中で、やはり利権の創出というのはbboy界において最重要課題である。

アンダーグラウンド特有の承認欲求等の自己実現に係る利権に留まらず、金銭が発生するような整備である。

 

おそらく現在進行形かとは思うが、協会による会費の徴収、検定の必要性を強化する等、様々な名目を創出することで金銭の発生を促す。

bboyが職業として成立するならば、己の権利を脅かすようなバイトは言語道断であり、ムーブの著作権にすら言及してもいいのではと思わされるがそれはいささか行き過ぎか。

 

アンダーグラウンドhiphopでピースでシェアで、という精神がbboyの経済的進歩を阻害しているような印象があるので、強烈な非難を浴びるくらいに構造改革を行うというのも現状を打破する1つの方法なのではないかと。

ユースオリンピック競技にブレイキン(ブレイクダンス)が正式採用

ユースオリンピックにブレイキンが正式採用です。

 

以前、ブレイキンとオリンピックは水と油で相性が良くない、という話を出しましたが、決定したからには前向きな方向で捉える必要がありますね。

 

果たして、これがオリンピック正式採用への試金石となるのか。

 

そもそも今回の件で「ユース」オリンピックが存在することを知った人も多々いる中で、やはり本チャンのオリンピックに比べると注目度というのはかなり低く、今回の件について一般の認知度は皆無に等しいと言わざるを得ません。

しかし、ブレイキンにとっては、後に大きな転換点として捉えられる歴史的な出来事となりうる可能性が非常に高いと思われます。

 

ただ、記事の中で「ジェスチャーなどは認められているが公序良俗に反するものは減点対象になる」という一文が、人によっては引っかかる部分なのかなと。

 

郷に入っては郷に従え、ということで、オリンピックという母屋の軒先を借りるわけですから、オリンピズムの根本原則に則る必要があるのは至極当たり前の話で、お行儀良くしなければいけません。

 

このへんを履き違えると、やれ「リアルじゃない」「誤解を招くような変質したブレイキンだ」などと批判してしまうわけですが、これはこれで源流から派生したブレイキンの1つの形として確立していくものとして、現在はあくまで過程であるに過ぎないと考えた方が正解なのかもしれません。

showcase、軟体、スレッド、オクタゴン、音ハメ、A-music、時間制等々、数多のルール・制約を設けたイベントが乱立し、現在まで考えられるありとあらゆるものを飲み込みながら成長してきたbboyカルチャーにおいて、オリンピック精神だけはbboyカルチャーと相反するからダメだ、という話にもならないわけで、オリンピック式のブレイキンが今後確立されていくだけの話だと思っています。

スポーツブレイキンを提唱する人間が現れ、スポーツとして特化していくような形になる可能性も十分に秘めており、それはそれで別のカテゴリーとして進化を遂げていくのかもしれませんが、あくまでブレイキンに内包されるものとして、bboyカルチャーの展開に寄与する存在として認識すべきかと。

 

20年前にワンハンドエアートラックスを連発することが想像できなかったように、原理原則は踏襲しながらも未来のbboyシーンは今とはまったく別の形になっている可能性を考えると、今回の件がどういった伏線となっているのか非常に興味深いですね。

BBOYのタトゥー

BBOYのタトゥーについてです。

 

タトゥーそのものの議論はともかくとして、BBOYのタトゥーについての話です。

 

BBOYINGのためにタトゥーを入れている場合については、日本における諸々のデメリットを甘受する覚悟から、BBOYに命を懸けている、という意思表示と取ることができます。

間違っても、付き合った女の名前を彫った1週間後に別れる、という中学生レベルのDQN思考が介在してはいけません。(してる人もいるかもしれないけど)

BBOYカルチャーを愛しているが故の覚悟のタトゥーです。

 

まず、タトゥーが入ってると(面積や柄にもよりますが)かなり上手いBBOYなのかな?と期待感が高まります。

バトル相手であれば「こいつえげつないことしてきそうだな~」とかなり嫌です。

 

BBOYタトゥーのメリットとして、ムーブ前から威圧感とともに上手いオーラを醸し出すことが出来、実際に上手ければさらにフレイヴァーばりばりでめっちゃかっこいいという点が挙げられます。

 

しかし、デメリットとして、あまり上手く無かったり、上手いんだけど特徴が無い平凡スタイルだったり、クラッシュしてみたりミスったりすると、肩透かし感がかなり強くなり、周囲をなんとも言えない気持ちにさせる効果があります。

 

出落ち的な哀愁が漂うと言いますか。

 

日常生活におけるタトゥーは、「自己防衛」のための「威圧」として十分に機能するんですが、かましてナンボのBBOYの世界ではそれがかえって仇になる可能性が非常に高いです。

 

タトゥーを入れる、入れないの判断は個人の問題なので自由にすればいいと思いますし、別に上手く無かろうがなんだろうが関係無しに様々な思惑でタトゥーを入れる人もいるでしょうから十把一絡げにすることはできませんが、ただ1つ言えることは、何の事情も知らない第三者から見た時に「見掛け倒しかよ、、、」と思われることだけは確実なので、タトゥーを入れたいと思っているBBOYは十分に機を見て入れるべきかと。

また、中高年、老年に至り、ほとんど前線から引いているにも関わらず、ドクロやら毒々しいBBOYにちなんだ何かが彫られていることを想像すると結構恥ずかしいかもしれません。

 

BBOYシーンにおけるタトゥーは条件を満たしていないと「ダサイ」可能性が非常に高いんじゃなかろうか、というお話でした。

 

動画サイトによりインストラクターは淘汰されていくのか?

年を追うごとにモンスター級のbboy達が次から次と誕生している昨今。

 

インターネット、動画サイトの隆盛により、上手いbboyの条件であった「場所」という最も大きな障壁が限りなく低くなっている。

 

知識、技術は大都市の活動人口が多い地区に集約され、シビアな切磋琢磨の中でさらにブラッシュアップされる傾向にあったが、現在においては、いつでも、どこでも、誰でも、世界レベルのbboyの技術を余すところなく動画で見ることができるため、辺鄙な山奥にいようともその気になれば世界有数のbboyになることが十分に可能である。

もちろん障壁が無くなっているわけではなく、モチベーションの管理やコアな情報に関しての「場所」の優位性が揺るいでいるわけでは無い。

が、動画サイトによる情報の浸透は目を見張るものがあり、むしろ情報過多なくらいだ。

英語がわかるならばさらにコアな情報にも触れることができるし、英語が出来なくとも翻訳サービスを使用すればいい。

やる気と指先さえあれば、常に最先端の情報を得ることができる。

有り余るほどの情報からメソッドを得ることが可能であるため、とにかく最近のbboyは上達が速い。

中途半端なインストラクターレベルであれば、短期間で追い抜いてしまう。

 

初歩の取っ掛かりとして、インストラクターの存在は非常に大きい。

 

また、十分な技術、知識に基づいた指導メソッドを確立している場合についても継続的なメリットを享受することができる。

 

しかし、有能な指導者ばかりではなく、多数は有象無象のインストラクターであることを考えると、生徒が成長し物の見方を覚えてくると、継続的に教えを乞うという状況が成立しずらいのでは。

 

多くのbboyはある特定の要素に特化しており、出来ないことが意外なほどに多く、長く師事することで同じような系統のbboyに育つきらいがある。

 

このインストラクターにお金を払って習うより自分でネットで調べた方が早いのでは?と思われるような時代である。

 

TOP BBOYのチャンネルで良質なレクチャー動画がアップされているならば、中途半端なインストラクターのレッスン以上の価値がある。

 

教材がネットに溢れている以上、今後中途半端なインストラクターは業として成立しなくなるかもしれない。

ブレイクダンスを辞める潮時

ブレイクダンスを辞める潮時。

 

もう少し正確に言うと、練習に追われる日々からの脱却、ですね。

 

月に一回だけ練習するようなペースになったり

 

辞めた!と決めたその日から一切練習をしなくなったり

 

とにもかくにもスローペース、あるいは完全にストップする状態になるにあたって、どういったタイミングが考えられるのか。

 

就職した

 

結婚した

 

子供が生まれた

 

職責が重くなった

 

家族の介護が必要になった

 

金銭的な事情で活動時間確保が困難になった

 

人間関係の不和でコミュニティにいられなくなった

 

病気が進行した

 

大きな怪我で再起が難しい

 

すれどもすれども芽が出ない

 

トレンドにそぐわないスタイルでシーンに付いていけなくなった

 

バトルでまったく勝てなくなった

 

 

などなど諸々の事情によるタイミングで練習から遠ざかることになると思います。

 

また、ライフステージの変遷に伴い倍加する社会的責任から忙殺され、BBOYINGに割く時間を取ることが物理的に不可能になるでしょう。

 

レジェンドBBOYと異なり、大多数はその他大勢に埋没するような存在で、いつまでも最前線に立ち続けることはできません。

 

しかし個々人を取り巻く環境は千差万別で、歴を重ねれば重ねるほどBBOYINGが生活の大きな軸になり、ライフワークとして独自の哲学を構築するに至り、BBOYへの未練と社会的責任との間でどう折り合いをつけていくのか、という点が一般BBOYにとって非常に悩ましい問題として最もクローズアップされるべきだと考えています。

 

BBOYINGに傾倒しすぎれば社会から後ろ指を差され

 

社会的責任を全うするためにBBOYINGをおろそかにすればBBOYから後ろ指を差され

 

丁度良い塩梅が存在しないように思えます。

 

かまさないといけない、凄いことをしなければいけない、リスペクトを受け無ければいけない、というプライドの高いBBOYINGというカルチャーが、0か100か、という極端な身の振り方を助長しているような気がしており、ぬるま湯が存在する余地があってもいいのでは、と考えてしまいます。