ノーリズム

立ちダンサーも顔負けのリズム感で踊るbboyもいれば、致命的にリズム感の無い、あるいは練習してこなかったためにどう取っていいかわからないといったbboyまで、とかくリズムや音ということが比較的軽視されがちな傾向のbboying。

スクールに通っているような最近のbboyはそんなこともないのかもしれませんが、独学、あるいは昔ながらのbboyには完全に音を無視したりする人が少なくありません。

 

基本ムーブ自体の難易度が高いせいもあるかもしれませんが、ダンスの基本中の基本であるリズムキープという概念が薄い不思議なダンスジャンルと言えます。

 

音取るのめんどくさいしよくわからんからとりあえず凄い技とか凄いフリーズとかオリジナルっぽいムーブで沸かせればいっしょ!みたいな人がまあまあいます。

 

キャリアが長いにも関わらずまともにアップダウンやエンカウントを取ることが出来ないbboyも存在しており、ステップやムーブも出汁の効いてない味噌汁のように「なんか違う」感で溢れています。

 

killing the beat動画が溢れている昨今ですので豊富な教材からどう音を取ればいいのか、という部分はほとんどのbboyが理解していると思いますが、いざそれを実践するかどうかとなるとまったく別の次元で、そもそもやらない人、強いビートにしか合わせない人など、bboyの中でも音楽に対する捉え方は話題になっているようでその実軽視されていることは否めません。

特にアドリブ無しでセットムーブしか無いbboyはたまたまハマれば御の字ではないでしょうか。

カウントでセットを作る心配性な人もいそうですが、ともするとバトルというよりはワンマンショーの見せ合いで、バトルが小規模なショーコンテストに見えなくもありません。

 

音の部分は今後、もしくは現在進行形で指導的な立場にあるbboyがしっかりと伝えていかなければならない重要なファクターであるため、後進は指導者をよくよく吟味する必要がありますね。

bboyingにおけるジャッジの意義~意味の無い空虚なジャッジの存在~

絶対あっちの勝ちだよな、、、

 

絶対俺の勝ちなのに負けた、、、

 

負けたと思ったのに勝った、、、

 

 

などなどbboyのジャッジには常にフラストレーションやサプライズが付きまといます。

 

100人いたら100人がこっちの勝ち!と言えるほどかましてるいるならさすがにジャッジの主観で覆ることは少ないのですが、それでもまぁまぁ稀にあります(笑

 

100人いれば100人のジャッジ観があり、ジャッジのルールについて統一されていないのが現状です。

勝敗はジャッジの主観のみです。

恐ろしく細分化してスコアを付けている人もいれば、恐ろしく適当に勝敗を決めている人もいます。

おかしなジャッジをしても、ルールも罰則も無いので何のお咎めもありません。

さすがに毎回おかしなジャッジをしていると声がかからなくなりますが、、、

 

主観、というのは非常に便利かつ杜撰な言葉で、都合の良い言葉です。

何を言おうが、これが俺の見方だから、という一言で済まされてしまいます。

 

つまり同じ相手とバトルしても、ジャッジが変わると勝敗がコロコロ入れ替わる可能性が高くなります。

 

そうなるとジャッジ次第では永遠に勝てない相手が発生することになります。

 

あいつのスタイルは嫌いだからダメだ。

 

やら

 

あいつのスタイルは好みだから最高だ。

 

などなど。

 

100人の観客がAの勝利だと思っても、ジャッジがBに手を挙げれば勝ててしまう世界です。

1人の絶対評価が、100人の相対評価を上回る捻じれた状態が発生します。

 

例えば素人を100人集めたイベントならば、それが正解な場面もあるかもしれませんが、そうではない場面も散見します。

 

仲が良いから。

 

本番では調子が悪かったけど練習で凄いことは知ってるから。

 

大御所でネームバリューがあるから。

 

など、しょうもない理由で勝たせる人もいます。

bboyのプライドをドブに落としてきたような本来ジャッジをしてはいけない人です。

 

突き抜けたトップbboy達ならまだしも、多くのbboyは拮抗した団子状態の中で目糞鼻糞の状態にあります。

そうしたボリュームゾーンに位置するbboy達はとかく「ジャッジ次第で結果が変わる」ことに振り回されがちです。

ジャッジ次第で変わる結果にそもそも価値があるのか、と。

ジャッジ次第で優勝したり、予選敗退したり、1回戦負けしたり、、、

それで一喜一憂することがいかにバカバカしいかがわかるかと思います。

 

さらにbboyシーンが進化するためには旧態然としたジャッジシステムを抜本的に再構築し、規模の大小に関わらず全てのイベントに浸透させる必要があるのかもしれません。

dyzeeの提唱するジャッジシステムは存在しますが、まだ完璧ではありませんし、またほとんど浸透していないように思います。

ムーブやスキル、パワームーブは進化しているのにジャッジだけは相変わらず、というのもおかしな話で、ジャッジシステムも進化して然るべきだと思います。

今にも崩れそうなボロボロの小屋に最新の家電を置いているような違和感を覚えてしまいます。

好きなことで飯を食えてるからいいんだ!は本当に正義なのか?

この世に存在するbboyにとって一番の喜びはプレイヤーとして日々成長し、かまし続けることではないでしょうか。

 

身体的にもモチベーション的にもピークである20代を過ぎると劣化の一途を辿ります。

ライフステージ的にもキチガイじみた練習量を確保することが困難、あるいは不可能になります。

つまりプレイヤーとして成長することが困難となります。

 

そして、お金に不自由する毎日。

 

好きなことで飯を食えてるからいいんだ!

 

とか

 

好きなことできてるから今の生活に満足だ!

 

とか

 

本当でしょうか?

 

自分に嘘をついてませんか?

 

 

レッスンをしたり、イベントを開いたりする暇があるならその時間を自分の練習時間に充てた方がいいんじゃないですか?

 

現役のオリンピックに出場するような選手が定期的にレッスンやイベントを主催しますか?

彼らにそんな時間はありません。

日々の全てを練習に捧げています。

 

なんとなく耳心地の良い言葉で自分を欺いていませんか?

 

もう頑張れなくなってる自分。

 

自分にムチ打てなくなっている自分。

 

自分の成長を諦めてしまった自分。

 

成長痛に耐えられなくなった弱い自分。

 

bboyにとってプレイヤーでカマシ続ける以外のことは代替行為でしかありません。

 

あなたの周りにもいませんか?

 

同じようなマンネリ、変わらないスタイル、増えないスキル・パワームーブ。

 

誰かに偉そうに説教しだす人がいたらその人は止まった人だと思ってください。

 

メソッドや価値観は常に流動的なものであり、常に革新をはらんでいます。

昨日の正解が今日の正解ではありません。

常によりよい思考、発想を模索してる内は、人に説教してる時間なんてありませんし、試行錯誤の中で人に講釈を垂れるなんておこがましい以外の何物でもないことを進歩的な人は理解しています。

 

壁に向かって話しかけてろ、くそくらえ、ですね。

facebookとtwitterは止めるべき

bboyに限った話ではないのですが、トップ層に食い込みたいと思っている人は、題名の通りfacebooktwitter等のsnsは利用を止める、あるいは利用方法を限定し、なるべく控える形にするのが良いかと思います。

 

snsのメリットである24時間、時間と場所を問わずコミュニケーションを交わし、拡大できる点は、ビジネス利用を除外すると、何もすることが無い、目標が無い、暇つぶしがしたい人のための、極端に言うとただ寂しさを紛らわすためだけのものにしか過ぎません。

基本的にはbuzz、、、一般人の愚痴、日常報告、妙な啓発、偏見、内に秘めておけばいい決意などなど、どうでもいい情報で溢れており、また旬を過ぎた今更な話題も多く情報鮮度も低いです。

ただ、玉石混交の状態であることは事実であり、有益な情報も稀にですが得ることができます。

「玉」が極端に少ない状態であり、その玉自体も大したものじゃなかったりしますが。

 

そして、sns利用の一番の問題点は、凶悪な時間泥棒だと言うことです。

タイムラインを流して流して読んで読んで、、、

facebooktwitter、インスタグラム、、、

若年層のsns平均利用数は定かではありませんが、体感的には上記のビッグ3はほぼ網羅されているように感じます。

それに加えて、youtubeなど他にもsnsめいたものを利用しているとなると、そのチェックだけで膨大な時間が失われます。

デジタルコミュニケーションは本質的には暇潰し以外の何物でも無いのですが、自分の属するコミュニティが利用するsnsがあればその求心力たるや半端ではありません。

本質的には無駄であると薄々理解しているにも関わらず、人が集まっているというだけで自分も参加してしまい時間を浪費する行動って心理学的に何か名前とかついてるんでしょうかね。

 

いずれにしても、snsにはほぼbuzzしか無く、そもそも昨日見たタイムラインの内容なんて誰も覚えていない中で、果たしてそこに時間を費やす必要があるのか?ということですね。

 

現在の若年層のほとんどは、sns中毒です。

違うよ!という人は、まず1週間facebooktwitterもインスタも開かないでください。

若年になればなるほどおそらく無理でしょうが。

友人の動向が気になって気になってしょうがないと思います。

万が一、1週間sns離れできたらsnsを開いてみてください。

膨大に蓄積されたタイムラインにうんざりすることでしょう。

これが1か月開かないでいるとさらに膨大すぎて過去のタイムラインはもう読まないでしょう。スクロールするだけで時間がかかりますし、どうでもいい情報ばかりだからです。

本来であれば、目を通していた1か月分の蓄積されたタイムラインを、放置したことで読まなくなります。

つまり、そもそも読まなくても何の問題もないということです。

それでも、すべてに目を通した方はおめでとう、もう一流のsns中毒者です。

 

禁煙と似ているな、と思った方はその通りで、人間の脳味噌に焼き付けられた快楽の刻印なのでちょっとやそっとじゃ克服できません。

snsを見るな、アカウントを消せ、と言われてもおそらく無理なあたりタバコよりも中毒性は高いかもしれません。

利用方法を限定する、といった方法が一番現実的かもしれませんね。

 

また何百、何千といった友達リストも基本的には無意味です。

一般利用でしたら本質的には無意味なのですが、ある種のバロメーターとして認識されていますね。

bboyビジネスを展開するためには非常に有益かと思いますが、それはある程度の知名度を得た後の話でしょうか。

ワークショップ、レッスン、ジャッジ、物販、イベント、自己ブランディング、、、複数の収益路を確保するためにむしろ必要かと思います。

まぁそんな人はごく一部なので基本的にはsnsに惑わされ時間を浪費しないように、練習に明け暮れるのみ、といったところでしょうか、、、

ブレイク界は既にレッドオーシャンで血にまみれている

一昔前ならばキッズ、b-girlウインドミルやヘッドスピン、軟体ムーブをしていれば持て囃される時代がありました。

 

それが現在では大人顔負け、男顔負けのパワームーブやスタイルをやるキッズ、b-girlが次々と誕生しています。

 

bboy界は常に進化し続けており、一瞬でも気を抜けば何万光年もライバルから差を付けられる弱肉強食の世界であり非常にシビアなものです。

まさに血で血を洗うレッドオーシャンであり、そうした日進月歩に遅れるとローカルbboyとして細々と続けるか、引退を余儀なくされます。

そんな中でも、b-girlやキッズはそこそこ出来ていれば評価されていたブルーオーシャンな時代がありましたが、現在ではbboy界以上の血みどろの世界になっています。

舐めてかかるとボコボコにされます。

 

とは言っても、b-girlに限定すると実はまだまだ新規参入の余地は十分に残しており、例えば、男ばりのトーマスフレアー、Aトラ、エアチェアムーブ、高速ムーブなどですね。

上記のものはほとんど見たことがありません。

身体上、骨格上、筋肉量の問題でそもそも出来ないものなのか、はたまた既成概念をぶち破るようなスーパーb-girlが現れるのか。

 

キッズ界においてはレッドオーシャンぶりに拍車がかかっており、スーパーキッズ達が量産されている現状があります。

そこから読み取れることとしては、優秀な指導者とブレイクエリートの存在です。

日本が世界のbboy達に手も足も出なかった時代はとうに過ぎ去り、メソッドやシステムを確立した優秀な指導者達が日々ブレイクエリートを育成し輩出しています。

こんな日が来るなんて一体誰が考えたでしょうか。

非常に素晴らしく喜ばしいことで、諸手を挙げるしかないと言った状況ですが、その裏では後発組の虚無感を誘うきらいがあるのではないでしょうか。

bboyingが誕生してからの数十年間で繰り返された幾多もの試行錯誤により、削ぎ落されるものは削ぎ落され、淘汰されるべきものは淘汰され、youtubeによりbboyの理想像について全世界的な共通認識が出来上がっている中で、現代bboyingは鋭敏なまでにブラッシュアップされています。

技の難易度・最後までフリーズを決めきる体力・他人と被らない発想力・膨大な練習量に裏打ちされた正確な再現性・フレイヴァーやリズムの体得・音楽の聞き込み、などなどやることが多すぎていくら時間があっても足りません。

世界に打って出るためには、数あるプロスポーツのように幼少期から過酷な修練を積まないといけない状況が出来上がっています。

世界を狙うならば、現在では中学生から始めても厳しいのではないかと思います。

よほどの才能、練習量をこなさないと先発のブレイクエリート達との差が埋まらないのです。

異常に専門性が高くなり、競技として真剣に取り組む場合、開始時期が直接ステータスに響いてきます。

以前と比べて門戸は広く開放されているにも関わらず、底なしの奥深さのために挫折を余儀なくされるbboyが今後はさらに増えていくのではと。

 

現状、過酷さとは裏腹に自己満足の追及で留まっているブレイク界において、習い事としてbboyingをキッズにさせることで将来どういったメリットがあるのか、という部分も十分吟味する必要があり、taisuke、isseiといったスターbboyが10年後にどういった立ち位置を確保しているのか、といった点は非常に興味深いところではないでしょうか。

また、 右を見ても左を見ても血みどろであれば必ずまだ掘り起こされていないブルーオーシャンを発掘する人間が出てきます。それはともすればzuluのようにムーブの難易度のみに捕らわれない価値観の提示・創出のように、カルチャー由来なのか、ビジネス由来なのか、それともまったく違う観点からのものなのかはわかりませんが、これまでの歴史上起こりうる可能性は高く、レッドオーシャンが故に発生する楽しみの1つとも言えるでしょう。

AB-BOYの考察

考察、というほど深くもなく硬くも無いのですが、、、

題名の通り、ab-boyについてです。

 

大御所や通常のbboyスタイル・bboy musicを好む層は強烈な拒否反応を示し、かと思えば熱狂的なプレイヤー・ファン層がいるという、bboy界の最果てでもあり強烈な熱源でもある、矛盾を内包した特殊の極地に位置しているab-boy界。

 

それほど長くもないbboyの歴史においてここまで賛否両論極まれり、と言ったジャンルが今まであったかというくらいに際立った個性を放つab-boy界ですが、客観視してみると何層にも積み重なったファクターで現在の隆盛に至っているのだな、と感じさせられます。

 

まずは、音楽的なアプローチからのジャンル確立かなと。

 

bboy界においては、音楽的なアプローチよりもシチュエーションやムーブからのアプローチが非常に多いです。(無いわけではありません。)

初期の基本技は他ジャンル、あるいは既存の技からインスピレーションを得て誕生している経緯があります。

中国拳法、サルサ、体操、カポエラ、アフリカンダンス、、、などなど現代においても樹形図のようなムーブからの派生を非常に多く読み取れます。

 

一方、現代に存在するダンスジャンルやステップは基本的には音楽ありきで、その音楽にマッチした形で発生してきました。

極端な話ではありますが、クラシックでbboying、break beatでバレエを踊ることの違和感を想像してもらえればわかりやすいかと思います。

 

翻ってab-boyは自分が踊りたい曲で、自分の得意なジャンルを踊る、という、ムーブアプローチでもなく、アニメミュージックから着想を得てまったく未知のダンスジャンル・ステップを確立するでもない、あくまで既存のダンスジャンルを踏襲しつつ「a-musicでありさえすれば何をしてもいい」というカオスな思想を軸にbboy界に1つのジャンルを確立しました。

「フレッシュ・オリジナルであれば何をしてもいい」時代があったbboy界ですから、こうしたカオス観は相通ずるものがありますね。

今まで様々な音楽を介して発生したダンスジャンルがa-musicの名の下に集結するわけですから、仮に音ハメをしていても根本的にムーブと音楽がマッチしていない違和感は厳然として存在しています。しかし、その違和感すらも織り込み済みの熱量ですから詰まるところ理屈では無く「これはこれ」といったところでしょうか。

ただ誤解が無いように、ab-boyの方々は曲に非常に強い思い入れがあるため音楽への反応性は非常に高く、通常のbboyよりも音楽の聞き込み具合が深いように感じました。

 

 

価値観の変容によりアニメ・声優文化への蔑視が和らぎ、市民権を得ることができたことも大きな要因でしょうか。

一昔前のオタクと言えば、宅八郎宮崎勤などからもたらされた気味が悪く後ろ暗いネガティブなもので、一言で言えばただただ「気持ち悪い」ものでした。

それが現在は非常にカジュアルなものになり、インターネットの発達により従来であればダンスに関わりの無かった層が大量に参入し、パイオニアbboyの活躍も後押しになり、長らく暗黙の掟としてタブー視されていた「アニメソングで踊る」という行為の正当化に成功しました。

「赤信号、みんなで渡れば怖く無い」の精神ですね。

もはや赤信号ではありませんが。

アニメファン・声優ファンであるダンサーの「アニメミュージックで踊りたい」という願望は、「アニメミュージックで踊ることの気恥ずかしさ」「ディスの対象になる恐怖」から、長らく抑圧されていましたが、諸条件が重なったことで局知的に爆発的な隆盛を極めることになります。

 

ニコニコ動画、パイオニアbboy、テレビ、インターネット、イベント、、、

 

 

エンターティメント性の高さも特徴で、一般受け、、、とまではいかないかもしれませんが数多のアニメファンを取り込む要素をふんだんに備えています。

フリースタイルバトルよりもフリーでありつつ、かと思えば強烈な縛りが存在している点もコンセプトがブれない要因であるのかなと。

bboyに対する認知拡大に一役買っていることは間違い無く、bboyのオーバーグラウンド化を望んでいるab-boyアンチは一概に否定できないところではないでしょうか。

 

アニメ・声優を媒介としたストリートダンス、ひいてはbboyingの普及といった側面からは非常に強い意味を持っていると思います。

 

 

しかし、前述したこうした要素の全てがbboyの本筋を好んでいる層の頭痛の種になっていることもまた事実で、bboy musicから繰り出されるbboy moveのdopeでcoolな、bboyの本質的なエッセンスが脱落していることが理由かと思われます。

bboyはhiphopのエレメンツであり、既知のhiphopとかけ離れすぎている、あるいはhiphopが存在していない状態であると。

文字にするとわかりづらいですねw

アンチとしてはシンプルに「かっこよくない」という一言に尽きるのかもしれません。

 

長くなってきたのでこのへんで、、、

taisuke vs hong10 red bull bc one

bc oneのtaisuke vs hong10を改めて観て思うこと。

 

hong10は細かいミスをするものの必ずリカバリーしてフリーズまでまとまっており結果的に圧倒する形になっていたように思います。

 

taisukeはやはりショートムーブがネックになっている、、、と言ったところでしょうか。フリーズも流れ気味で、ムーブ先行の急いてる感じで音楽性も少し微妙な感じがしました。

ショートムーブに関してはbc one当初から言われていたことで、スタミナの問題なのかポリシーの問題なのか定かではありませんが、逆を言えばそこさえ克服していれば早い段階でチャンピオン、あるいはlilouのように複数回の優勝もあり得たかもしれません。

タラレバの話をしてもしょうがないかもしれませんが、おそらく全世界のbboyが疑問に感じている部分かもしれません。

なぜショートムーブにこだわるのか?という部分ですね。

 

一般のバトルでもムーブが短いことが敗因になるのは普通のことであり、彼ほどのレベルであれば十分理解していたでしょうから、あえての美学として、という側面が大きかったのではと想像してしまいます。

個人的にも長くムーブすることがいいのか?という思いはありますので、ショートムーブだからこその良さを理解する考え方はあって然るべきだと思います。

 

いずれにしても記憶に残るバトルの1つとして今後も語り継がれていくことになるでしょう。