結婚して子供ができたらBBOYはどうなるか

金もねぇ、コネもねぇ、目立ちたいけどそこまでしんどい思いもしたくない

 

やらないといけないことは後回しでとりあえずダンス

 

時間だけはたっぷりある

 

なんてのがBBOYの大多数で

 

こんな自堕落な生活も独身だからこそ

 

あの人あんま見なくなったな~となれば大体は結婚したか子供ができたか仕事が忙しくなったか

 

仕事、育児が加わると無尽蔵に思えた練習時間に割り当てる率は激減し、効率的な捻出方法を考えなければ、仕事や育児が犠牲になる、という塩梅で自然とフェードアウトしてしまう

 

もしも、周りに既婚者子持ちで練習・イベントにお熱なbboyがいるならば、ほぼ結婚生活、育児、仕事放棄をしていると見て差支え無い

 

そしてそんなbboyを人として尊敬できるかというと、、、

 

bboyの前に人であり、人としての最低限のこともできず思春期真っ只中で割れたグラスを求めるようであれば論外である

 

トリッキングがbboyingに本格流入する日は近い

トリッキングの大会を見ているとbboy musicをかけていることが多い。

 

ダンスではないので音に合わせてどうこうではなく、ただ選手と観客、会場のテンションを上げるためだけの要素に過ぎないが、その視覚的衝撃性や暴力性、連続性などの親和性から遠くない未来に本格的なトリッキングがbboyingに組み込まれるのではないか、という予感を感じた。

 

世界一を経験しており今なお前線にいるbboyとして、トリッキングと言えばNEGUINがまず思い浮かぶ。

 

さすがにトリッキングだけを専門でやっている者には勝てないだろうが、bboyの中では群を抜くレベルである。

 

おそらく、飽和しきった先に取り入れられる可能性が高いのはトリッキングではないか。

 

それもかなりクオリティの高い状態で。

 

スキル、パワームーブと絡めたbboy仕様のトリッキングだ。

 

また一次元、bboyingが進化してしまう。

カウンターカルチャーであるはずのbboying内部で行われるカウンターカルチャー

カウンターカルチャーとはサブカルチャーであり、その価値観や行動規範が主流社会のものとは大きく異なり、しばしば主流の文化的慣習に反する文化のことを言う。

 

bboying、並びにhiphopの出自はカウンターカルチャーそのものである。

 

つまりbboyingの本質、メンタリティはカウンターカルチャーにある、と言っても過言ではなく、その歴史自体もカウンターにまみれたものである。

 

パワー・スキルが主流となればスタイルを、スタイルが主流となればパワー・スキルを、と言った具合にカウンターの応酬を繰り返しており、そこに共通して一貫しているものはオリジナリティである。

 

オリジナリティ、個性は時として主流派に理解されない向きがある。

 

時間が経ってやっと理解されるものあれば、即時賞賛をもって迎えられるものもある。

 

これはもう時勢、タイミングの問題であり、その時にちょうどハマっただけの話に過ぎない。

 

だとしても、オリジナルを追及する向きは常に主流派への反抗そのものであり、自己価値の最大化を目論むものである。

 

当たり前の話ではあるが、誰もかれもがやっていることをやったところでそこにレアリティは発生しない。

 

いち早く、そして独占的であるが故にレアリティは発生するのである。

 

しかし、こうしたカウンターカルチャーであるbboyingも今や主流に組するところとなり、良くも悪くも日の目を浴び始めている。

 

そうなると天邪鬼かつ反抗心たっぷりのbboy魂がうずき出す輩が発生するのは出自故か。

 

アンダーグラウンドカウンターカルチャー、オリジナリティ。

 

そこに本質があると言うのは妄言だとも言えないだろう。

Red Bull BC One USA 2019/crazy legs

今回のRed Bull BC One USA 2019で感じたことを1つ。

 

crazy legsの存在である。

 

1979年にrock steady crewに加入し、2019年現在において40年以上のキャリアを持つレジェンドである。

 

bc one all starsのメンバーであり、レベル的には軒下を借りるような形であるとは言え歴史そのものであることに意味がある人物であり、レジェンドken swiftとの確執はあれど、bboying発展の貢献具合は他に類を見ないものである。

 

そうしたことを踏まえた上で、Red Bull BC One USA 2019という最前線で現役としてバトルに出ている姿は非常に重要な意味を持つと考えている。

 

キャリアが増すにつれ最前線に出てこなくなる者が多い中で、ベテラン、ましてやレジェンドがバトルに出る、ということは勝敗以前の問題としてあらゆるしがらみを振りほどき、bboyingを楽しむ、という点を改めて周知させ、世のベテランたちを反省させるに十分なものであった。

 

また、とても50代とは思えないような動きであり現状に甘んじない姿勢も改めてリスペクトを感じさせるものであった。

hiphopが底辺属性を有しているのは必然か?

まずhiphopの歴史を紐解いた時に、マイノリティのカルチャーが端緒であることに異論は無いかと思われる。

 

マイノリティは誤解を恐れず言えば蔑まれ、社会的立場の弱い存在である。

 

hiphopアメリカの多文化主義の副産物であり、世界のメジャーである白人層から発生した文化ではない。

 

どちらかと言えば社会への反抗を基盤としている。

 

グラフィティは公共物への落書きであり、ラップは悪口と自慢であり、DJは正規の使用法から逸脱しており、ブレイクダンスはギャングの遊びである。

 

どちらかと言えば、という文言も不要なくらいに社会秩序・風紀を乱すものであった時代がある。

 

それは過激な形では発露しないにしても、今現在も継続しているものである。

 

公共物へのグラフィティは依然として存在し、ラッパーはタトゥーだらけで違法薬物と近しく、DJはいかがわしい場であるクラブを盛り上げ、ブレイクダンスは公共の場を占拠し通行障害・治安悪化を想起させている。

 

誤解があるにしてもそうした傾向は否めない。

 

健全な方向に進んでいる層もあれば、源流のままの層もいる。

 

玉石混交の状態である。

 

特にラップは「言葉」という最も伝播性の高いファクターを使用するため、hiphopの象徴として捉えられがちである。

 

仲間、絆、感謝、ドラッグ、犯罪、逮捕、女、金というJ-POPで言うところの友情、恋愛、希望、大丈夫などのありきたりなテンプレートに乗っかりやすく、一般層からはhiphopDQNというイメージが確立している。

 

近年ではほとんど見なくなったがhiphopファッションもDQNイメージを加速させるのに一役買っている。

 

端的に言えば、未だ洗練されておらずCoolではないというのがhiphopの現状である。

 

上記諸々の事情によりhiphopのプレイヤーは底辺を想起させることが多く、また実際にそうである場合が多い。

 

bboyの経済的な脆弱性は周知の事実ではあるが、hiphopプレイヤーの出自を見ると体感的な部分も含めて、それが事実であるかどうかは別にしても恵まれない底辺層の文化であるという認識が一般社会からの評価であろう。

 

上流階級のhiphopプレイヤーもいるかもしれないが、果たして貴族、皇族、その他上流階級に位置する人物がhiphop界に一体何人いるのか。

 

夜な夜なクラブに繰り出しDJの放つビートで踊り狂い、帰りがけに電車にグラフィティした挙句ストリートで突然ラップし始めるような皇族がいたら違和感しかないだろう。

 

ふさわしくない、という評価が現状でありいまだマイノリティの文化であるということへの証左でもあると考えられるのではないだろうか。

10代bboyが幅を利かせていないシーンは不健全である

タイトルのとおりである。

 

各地方で10代bboyが席巻していないシーンはないだろうか?

 

もしもあればかなり不健全である。

 

20代、30代はこれから衰え始める年代であり、メソッドが確立している現代においては10代でこうした年代層のbboyを圧倒することが比較的容易になっている。

 

それができていないということは圧倒的に練習不足、あるいは指導不足ということになる。

またはジャッジの力量不足、偏狭さも加味される場合もある。

 

10代bboyがまったく育っていないシーンは今後も加速度的な成長は難しいだろう。

 

よもや老害達が蓋をしていなければいいが。