個性が大事だとか、自分らしく踊れることが重要だとかは詭弁に過ぎない

HIPHOPにおいてオリジナリティは最も重要なファクターの1つである。

 

そうであるが故にバイトという概念が存在する。

 

バイトについて書きだすと禅問答のように出口が見えなくなるのであえて言及はしないが、バイト批判をかわすために最も効果的な文句がある。

 

自分らしく個性を出して踊れ。

 

まさにマジックワード

 

判断に困るようなスタイルでもこの一言でオールオーケーだ。

 

とりあえず個性的だ、ということで容認される優しさがある。

 

しかし、青天井で競技性が高まる中でこのマジックワードは無慈悲な鉄槌を下すことにもなる。

 

個性個性、オリジナルオリジナルで当人の成長を止めてしまうのだ。

 

本来、オリジナルというものは競技である以上すべてのベーシックを網羅した上で追及する要素なのだが、なぜだか中途半端なベーシックの上にオリジナルを敷こうと試みる者も存在する。

 

勝ちにこだわるか、日々の息抜きで終わらせるか、本人の意識によってマジックワードはいかようにも姿を変えるあたり罪深い言葉である。

プロとアマの差がもう埋めることができないほどに乖離している件

トップロック

フットワーク

パワームーブ

フリーズ

オリジナリティ

ミージュカリティ

スタミナ

 

等々のbboyの全ての要素をハイレベルで盛り込んでくるプロフェッショナル。

 

マチュアであれば上記のいずれか、あるいは2、3つハイレベルな要素を盛り込めれば御の字だ。

 

今後乖離は拡大し、素人を寄せ付けないような状況になっていくことだけは間違い無い。

クソださい曲で踊るジャッジ

誰しもジャッジには自分より格上であってほしいという願望があります。

 

ジャッジ紹介!

 

からのクソださい曲!

 

クソださい演出!

 

クソださい踊り!

 

悪い意味でカルチャーショックを与えてくれるジャッジが時折存在します。

 

何をどうやったらここに行き着くんだ、、、と驚愕させられますし、今まで誰も止める人がいなかったのか、、、あるいは止められたけど自分のセンスに陶酔しきってしまい外野シャットアウト状態になっているのか、、、。

 

絶対こうなっちゃいけない、、、という戒めの意味では、クソださスタイルを貫いてもらい若手への啓蒙活動促進の教材として有効活用していきたいところなのですが、そいつにジャッジされるとなると話は別で、、、。

 

クソださジャッジが判明した時点でそのイベントで優勝しようが負けようがもうどうでもいいと思います。

BBOYの定義とは

BBOYの定義とは?

 

RAPの間のブレイクビーツで踊るダンサーがBBOYである、という点が発祥であることを考えるとこの点が大原則に相当する。

 

ただ、ブレイクビーツで踊っていれば誰でもBBOYとして認められるわけではなかったようである。

 

フロアーをROCKできる者だけがBBOYを名乗ることが許された、というような記述を確認できる。

 

当時の価値観を現代にそのまま適用することはいささか不都合があるため、基本的にはブレイクビーツで踊っていれば誰しもBBOYである、というのが現代の共通認識としていいだろう。

 

そうすると、この時点でAB-BOYがBBOYとしての枠組みから外れることになる。

 

この点においては、AB-BOYは「AB-BOY」という独自体系を築いているためさしたる問題ではないかもしれない。

もっと言うならば俺たちはAB-BOYだからBBOYじゃないよ、という確固たるプライドさえある可能性を考慮するとかえって混同すること自体が迷惑になるかもしれない。

 

さて、次に考えることと言えばBBOYのバトル文化である。

 

BBOYと言えばバトルであり、バトルと言えばBBOYである。

 

いかに相手を上回るか。

 

それだけである。

 

資本主義も裸足で逃げだす位の実力主義、競争主義が蔓延っている。

 

本来、バトルで得ることのできるものは勝利からくる自己肯定、他者からの承認・賞賛である。

 

これは一口にリスペクトと考えていいだろう。

 

他者からのリスペクト、自分自身へのリスペクト。

 

リスペクトだけがBBOYの得る最低限かつ最大限のものである。

 

それ以下もそれ以上もない。

 

コンテストやイベントとしてのバトルが無い時代に、あなたは勝利したから賞金を進呈します、なんてバカげたことをしていただろうか。

 

プライドとリスペクト。

 

それが全てであったはず。

 

資本主義も真っ青な実力主義であるにも関わらず、資本主義から最も縁遠いアンダーグラウンドかつ無骨な文化がそこにはあったはずで。

 

バトルする相手を上回ることだけが、BBOYとしての自分の価値を高める手段であると言って差支えないだろう。

 

つまり、バトルをしなくなった時点でBBOYとしての価値は非常に低くなる。

 

価値基準が自分本位になってしまうからだ。

 

バトル文化がある以上、常に評価は他者に委ねられるものであると理解しなければいけない。

 

もちろん、納得のいかない評価もあるだろう。

 

その点についてBBOY達はこれまた非情な実力主義から来るシステムを導入している。

 

コールアウト。

 

納得のいかない判断をしたジャッジをコールアウトしてこれまたコテンパンに打ちのめせばいいだけだ。

 

生粋のBBOYであるオーディエンスが勝敗を決めてくれるかもしれないし(BBOYではないオーディエンスの評価は当てにしなくていい)、相手が精も根も尽き果て先にギブアップするかもしれない。

 

そこで自分が打ちのめされれば素直に非を認め、いつの日かそのBBOYを打ちのめすために練習を続ければいい。

 

お稽古事でもあるまいし、俺は指導者や審査員の立場だから、、、なんて戯言は寝てから言った方がいい。

 

逆説的に言えば、指導や審査する立場の者であればBBOYの成り立ちを十分に理解しており、バトルの重要性を理解していないはずがない。

 

理解していればいるほど、俺はもうプレイヤーじゃないから、なんて年功序列老害みたいな発言はできないはずだ。

 

若い頃に一生懸命頑張ったから歳を取ったら楽していいですよ、なんてBBOY文化には似合わない。

 

そんなダサイことは、どこぞの年功序列のサラリーマンにやらせておけばいい。

 

生涯BBOYを気取るなら死ぬまでバトルに出続ける覚悟が無いとリスペクトなんか得られやしない。

 

キチガイじみたスキルの応酬が繰り広げられる昨今のBBOY界において、勝ち続けることなんてできやしない。

 

血も涙も無い実力主義の世界だからだ。

 

ただ、相手を上回る、という点において歳を重ねることがマイナスになるだけということがあり得ないのもBBOYの面白い点だ。

 

とんでもないスキルやパワームーブをしてもひっくり返すことのできる円熟味やフレイヴァーもある。

 

しかし、バトルに出ることが無ければひっくり返すこともできない。

 

バトルから遠ざかりジャッジや指導者としてお飾りになってしまった時点でBBOYとしては死に体と言っても過言ではないのかもしれない。

 

 

BBOY進化論

生物は環境次第で様々な特色を帯びてきます。

 

砂漠に生息する生物は水分をいかに保持するか、という点に特化したり

 

寒冷地に生息する生物は熱放射をいかに抑えるか、という点に特化したり

 

「生存」という最も重要な事象を死守するために環境適応してきたわけです。

 

その他、温暖・寒冷から生物の特徴を述べたベルクマンの法則やアレンの法則等があります。

 

前々から述べていることですが、BBOYにもそうした環境的差異が顕著に見られます。

 

今や原始的生活を離れ、如何様にも環境を構築できる時代になんでやねんとお思いかと思いますが、ことBBOYに限るとなかなかそうとも言い切れません。

 

練習環境が整備されていないため、もろに環境の影響を受けがちなのです。

 

通常、スポーツにおいては各種目ごとに適した環境で練習を行うわけですが、BBOYは適した環境を用意することが難しい状態にあります。

 

適度な広さ、滑らかなフロアー、爆音でも迷惑をかけない静音性を有した環境を24時間いつでも誰でも使える、という場所を確保することはなかなかに困難です。

 

極端な例ではありますが、サッカーやバスケを坂道で練習し続けて、果たしてその人間は上手くなるのかと問われればNOと答えざるを得ません。

 

BBOYについても同じことで、恵まれた環境でなければ王道を貫くことはできません。

 

しかし、BBOYにおいてはクリエイティビティという側面から、その坂道に特化したスタイルを得る可能性があり、それはBBOY史にまた1つ新たな革命の火種を落とす希望を含んでいます。

 

世の中のあらゆることは常に流動的で、画一的に思考硬直していてはあっという間に過去の人となってしまいます。

 

しかし、環境が突然変異を生む可能性があるとは言え、競技制が高まっているBBOY界において環境に左右されるということは、今後命取りになる可能性が高いです。

 

個人的な話ではありますが、寒冷地域のBBOYがあまりパワーやスキルをしない理由が出向いた際にすぐに理解できました。

無理をするとすぐに怪我をする(ような気がする)。

不可逆的な損傷を得そうでとてもじゃありませんが無茶なことをしようという気になりませんでした。

 

いずれにしても環境的素因は、各地域ごとのBBOYの特色を決定づける重要な要素の1つなのではないかな、と考えたりしてます。

 

続くかも

器械体操上がりのbboy

常に交わりそうで交わらない体操界とbboy界。

 

瞬間的にクロスオーバーすることはあっても融合していくことはほぼ無く、基礎的土台が異なりすぎるためこれからも平行線を辿っていくことになるでしょう。

 

体操上がりのbboyというのはまぁまぁいて、やはりパワームーブや跳躍を伴う動きは一目置くところがあります。

逆を言えば、パワー系に偏りすぎるきらいがあるのもまた事実。

とにかくフィジカルに頼ったムーブでゴリ押し、音楽性についてはいまいちでフレイヴァーもあまり感じず、といった印象でbboyの本質から若干外れ画竜点睛を欠く、といった状況があります。

 

飛んで跳ねて回ればある程度評価されてしまうのも事実としてあるため、本人も満足してある程度のレベルで頭打ちになることが多いように見られます。

 

ムーブもセットが多く、何回か見ると単調であることから比較的早く見飽きられるという弊害もあります。

 

身のこなしの軽さは特筆すべき点ですが、その軽さがスタイルにおいて足枷になっている点もあります。

 

深く重い動きが苦手だったりする部分で本質を捉えきれない場面を散見します。

 

とまぁ色々述べましたが、体操経験者と未経験者では明らかにスタート地点が異なり、成長速度も違うので、単純にbboyとしての動きや音楽性さえマスターしてしまえば鬼に金棒状態といった印象です。

それが一番難しいところではありますが、、、

 

誰もが主役で誰もが脇役である

bboyとしての自分の価値とは常に流動的である。

 

bboyとしての自らの価値基準は、大きく二分されることになる。

 

①bboyシーンの中での自分

 

②bboyシーン以外での自分

 

日進月歩でしのぎを削り合うシビアな世界の中でどういった立ち位置を得ることができるのかは、非常に大きな関心事の1つだ。

人生と同じくbboy界も椅子取りゲームであり、努力を怠ればあっという間に凋落する。

上を目指せば目指すほど自分の価値が希薄となる一方で、下さえ見ていれば常にスポットライトを浴び続けることができる。

 

うだつの上がらない普通のbboyも、初心者しかいない環境であれば神扱いだ。

 

生涯bboyでいることは容易ではない。

 

衰えゆく自身と比べ、これから芽吹いていく若い才能達は自身が越えられ無かった壁をいともあっさりと越えていく。

 

過去の栄光や自身のキャリアの長さにしがみついたところで、リアルタイムでかまさなきゃそんなの何の意味もない。

態度や口ばっかり達者になって肝心のダンススキルは、、、。

 

あるいは周囲の野次には耳を貸さず、自らのスタイルを至高と捉え続ける胆力さえあればbboyとしての自分のプライドは保たれる。

周囲と比較せず自分は自分であると信じ切る力。

まぁ周囲と比較しないというのは、精神的な病に冒されていない限りかなり難しいが、、、。

 

とにもかくにもbboyシーンの中における自らの価値というのは環境、あるいは自らの価値基準によって大きく左右される。

 

翻って、bboyシーン以外における自分の価値とは。

 

学校、会社、などなど自分が所属するありとあらゆるコミュニティの中で、bboyとしての自分はどういった価値を持つのか。

 

学校であれば、諸々のイベントでスポットライトを浴びることができるし、会社であれば余興や暇つぶしのネタ程度には取り扱ってもらえるだろう。

 

基本的にはbboyingを披露する場が極端に少ないため、ブレイクダンスの人、くらいの認識で終わるだろう。

 

それを自らのアイデンティティとして誇りうるものなのかは各人の価値観次第なのでなんとも言えないところではあるが、比較的にbboyシーンを離れた時ほど、自らがbboyである、ということを強く意識し、また価値を感じる向きがあるのではないだろうか。

 

単純にプレイヤーがまだ少ないこともあるが、bboyシーンにいる時よりも他者との差別化や価値の認識が容易である。

自らが感じている価値量と、第三者が考えている価値量とはかなり相違がある可能性があり、ただ勘違いしている可能性も大いにありうるが。

 

誰もがbboyとしての自分には価値があると思いたい、というのが本心である。

 

それであれば、あえて低みに移するもbboyを継続するための手段として合理的であるのではないか。

 

あいつは成長が止まった、いやむしろ下手になっている、と後ろ指を差されることもあるかもしれない。

 

しかし、bboyingを「気持ち良く」続けること、を主眼に置くならばそれはそれでアリなのではないか。